優しい匂いシリーズ(番外編)
アイノテ
人は信じていたモノが突然壊れてしまったら、生まれてからずっと作り上げてきた世界を失い、不安定になり自分を支えきれなくなる。
それは実感として知る事となった。
近所に住む六才年上のおにいさんに、子供の頃から恋をしていた。
子供の頃は何時も遊んでくれる優しいお兄さんが、ただただ大好きで、それが恋に変わったのは中学へ上がった頃だった。
高校受験にあたり、家庭教師を頼み込み、週三回教えに来てもらっていた。
好きだとはっきり告白をしたわけではなかった。
俺の全身から好きという気持ちがあふれ出ていたんだと思う。
授業を重ねる度にどちらともなく距離が縮まり、何時の間にか唇を重ねていた。
それからベッドへ行くまでに日にちはかからなかった。
SEXには興味よりも怖さの方が勝っていたが、お兄さんに求められるまま身体を開いた。
お兄さんと相思相愛になれた事で有頂天になっていた俺は、身体に負担がかかっていると分かっていても求められれば応え、結果体調を崩し、第一志望の高校を落ちてしまったのだった。
それでも僕はお兄さんさえ居れば高校なんてどうでもいい―――と、本気で思っていた。
あの日までは・・・
滑り止めの高校に受かった報告をするため、会場からお兄さんの家へ真っ直ぐ向かった。
息を切らせながら走りっていると、見慣れた建物の外装が見えた。
玄関ホールを潜り、エレベーターに乗ると目的の階のボタンを押した。
7階に着き、エレベーターを降りると、対角線上にあるお兄さん家のドアが見えた。
第一志望を落としてしまったためお兄さん断ちをし、勉強に励んでいたため久しぶりに会うからか、緊張していた。
心を落ち着けようと、何度か深呼吸を繰り返していると、お兄さん家のドアが開いき、中から人が出てきた。
一人はお兄さん。そしてもう一人は見た事のない女性だった。
誰なんだろうと疑問に思っていると、二人は寄り添い、そしてキスをした。
目の前の光景の意味が分からず、その場に呆然と立ち尽くしていると、不意にお兄さんと目が合った。
一瞬驚き、次に気まずそうな、困ったような顔をした。
俺の存在に気付いていない女性は、にこやかに別れの言葉を告げ、お兄さんのもとから離れ、エレベーターのある俺の方へ歩いてきた。
女性と擦れ違い、姿がエレベーターへ消えると、俺はお兄さんに詰め寄った。
さっきのあれはなんなのかと―――
お兄さんは近所に聞かれまいと、俺を玄関に引っ張り込んだ。
「ぎゃあぎゃあ騒ぐなよ。大体何を怒ってんだ?」
「何って。女とキスしてたからだろ!」
「だからなんで?」
「なんでって・・・浮気されたら普通怒るだろ!?」
「浮気?」
何故か、お兄さんは苦笑して見せた。
「何言ってんだ。お前。俺達は付き合ってないだろうが」
付き合ってない?
言葉の意味が分からない。
確かに、交際を申し込む事も、告白もしていない。
だけど、好きだからキスしたんじゃないのか?
好きだからSEXしたんだろ?
好き合っている者同士が、SEXをしていたんだから、立派に付き合っていた事になるだろう?
そう主張すると、お兄さんは嘲笑った。
「男どうしで付き合うとかってありえないだろ?」
「何言って・・・」
「男同士なんて所詮肉欲なんだよ。気持ち良くなれりゃいいんだよ」
お兄さんは俺の知らない男の・・・悪い男の顔で、耳元で囁いた。
「気持ちよくさせてやっただろ? お互い楽しんだって事でいいじゃんか」
心無い言葉に目の前が真っ暗になった。
そんな俺に追い討ちをかけるかのように更に囁く。
「だからな、これからも楽しもうぜ」
愕然と立ち尽くしていると、唇が近付いてきた。
唇が触れる間際正気を取り戻し、お兄さんを突き飛ばした。
「ふざけんな!! 俺は、好きな人と・・・俺だけを好きな人としかしない!!」
「俺だけを好きな人? お前、それ本気で言っているのか?」
哀れむような、可哀想な子を見るような眼差しに耐えられず、俺は反論する事も噛み付く事も出来ずに逃げるようにその場から走り去った。
走って。
走って。
走って。
家に着いた途端、激しい吐き気に襲われ、トイレに駆け込み吐き戻した。
お兄さんに遊んでもらった子供の頃の温かく優しい思い出が忌まわしいものへと変わった。
お兄さんに抱かれ幸せな身体が、汚いものへと変わった。
俺は風呂場へ行き、コックを捻り、頭からシャワーを浴びた。
今朝まで宝のように大切だったもの全てを失い、俺はただただ涙を流し続けた。
信じていた者に裏切られ、それまで持っていた価値観や常識が揺らいだ。
生まれてから今日まで日々の生活やもたらされる情報、与えられた愛情、教えられた道徳と知識と常識から作り上げられた世界。
その世界が崩壊し、俺は混乱した。
そして自分は何なのだろうと考えた。
真幸響也【まさききょうや】とは何なのだろうと・・・
考えたところで答えなど出るわけも無く、ただ涙が零れた。
信じていたモノを嘲笑われ、気持ちを踏み躙られ、心が痛んだ。
余りの痛さに身体を傷付け、肉体の痛みで心の痛みを誤魔化そうとさえ考えた。
だが、手首に当てたナイフを横に引く勇気は無く、自分で自分に傷を付ける事は出来そうに無かったので他人の手を借りようと思い、俺は夜の街を彷徨う事にした。
誰でも良かった。
一番最初に声をかけて来た奴に抱かれて傷付こうと思った。
バカなマネだと分かっていたが、世界も自分も失ってしまっていた俺にはそれしか方法が無いように思えた。
だから実行した・・・
一番最初に声をかけて来たのは四十代くらいのオッサンだった。
高そうな黒いロングコートを着て、優しい微笑を浮かべ、紳士と言った感じだった。
「雨が降っているのに傘も差さず、雨宿りする訳でもなく、君は一体何をしているんだい?」
差していた傘を俺に傾けながら訊ねた。
「寒い。ホテルに行きたい」
俺は白い息を吐きながらと訴えた。
男は鳩が豆鉄砲を喰らったかのような顔をし、はめていた手袋を外すとそっと俺の頬に触れた。
「こんなに冷えて・・・来なさい」
そう言って、男は包むように俺の肩を抱いて歩き出した。
連れて行かれたのは安っぽいラブホテルでもビジネスホテルでもなく、一般庶民が気軽に泊まれないいかにも高そうな高級感あふるるホテルだった。
そんな敷居の高そうなホテルに、さも当たり前のように男は入って行った。
フロントで男が名前を告げると、受付の人間はお帰りなさいませ―――と丁寧にお辞儀をした。
男はキーを受け取ると俺の肩を再び抱き、慣れた足取りで部屋まで俺をエスコートした。
ドアを開け部屋へ入ると、其処は一人には・・・二人にだって十分過ぎるほどの広さの部屋だった。
無駄に広い部屋は何処も彼処も手入れが行き届き、ピカピカと光り輝いていた。
自分の身の丈に合っていない部屋に俺は緊張してしまい座る事も出来ず、ただ茫然と立ち尽くしていると、男は風呂の用意をしてくれた。
入りなさい―――と言われ俺は言われた通りにした。
風呂から上がると、雨でグッショリと濡れていた洋服は神隠しの如く失せ、変わりに置かれていたのはホテルのバスローブだった。
他に着るものも無く、俺はバスローブを羽織って男の姿を探した。
男の姿は苦も無く見つかった。
俺の服の行くへを訊ねると、ホテルの従業員に乾かさせていると言われた。
「服が乾くまで不自由だろうけどそれで我慢していてくれ」
男は優しく微笑んだ。
自分の服だろうとホテルのバスローブだろうと結局脱ぐのだからどうでもいいと思っていると、男は椅子を引きどうぞ―――と言った。
察するに、俺に座れと言う事なんだろうと思い質問はせずに座った。
人に椅子を引いてもらい座るなんて初めての事で、正直居心地悪かった。
椅子に座り目の前のテーブルに並んだテレビのグルメ番組でしか見た事の無い豪華な食事が並んでいた。
「ワインは飲めるかな?」
訊きながら慣れた手付きでワインのコルクを開けた。
煌びやかな部屋。豪華な食事。自分が思い描いていたモノと何もかもが違うので俺は戸惑った。
傷付くために来たはずなのに・・・何故俺は持て成されているのだろう?
俺は目の前の男にロマンチックな食事とかムード作りとかそんなの要らないと言い捨てた。
男は変な顔をして・・・そして笑った。
「私は別にムード作りなんかしていないよ。ただ普通の食事をしているだけだ。それをロマンチックなんて感じてくれたのかね?」
クスクスと笑われた。
俺は恥ずかしくてきっと耳まで赤かったに違いない。
男にとってこれは普通の事なのに・・・俺は一人で勘違いして意識して恥ずかしかった。
「そんなに小さくならないで食べなさい」
男は優しく微笑んだ。
緊張のためか口に合っていないのか、味なんかはよく分からなかったが兎に角腹は膨れた。
風呂にも入った。飯も食った。もうやる事は一つだけだった。
俺は男の言葉を行動を待った。
男は立ち上がるとゆっくり俺に近付きそっと俺の頭を撫でた。
「今日はもう遅いから寝なさい。ベッドは君が使って良いから・・・」
予想を裏切る言葉に俺は男のスーツの裾を鷲掴んだ。
「カマトトぶる気か? ホテルに行きたいって言葉の意味が分かっていて俺を連れてきたんだろう? なのに何で・・・男は守備範囲外か? 気が変わったのか?」
一気にまくし立てた。
男は困った顔をして、最初から君を抱く気など無かった―――と言った。
男の言葉を聞いて俺は一気に頭に血が上った。
乱暴に立ち上がると大股で歩き、ドアへ向かうとドアノブに手を掛け、引いた。
ほんの少しドアが開いた途端に勢い良く閉められた。
覆い被さるように俺の背後に立っている男の真っ直ぐ伸ばされた腕が強引にドアを押し閉めたのだった。
「そんな格好で何処へ行こうと言うんだ?」
少し慌てた様子の男の低い声が耳元で響いた。
「俺は傷付きたいんだ! 此処に居ても傷つけそうに無いから他を当たる! 手ぇ退けろよ!」
振り向き座間に男を突き飛ばすが、男は一歩下がるだけでよろめく事もしなかった。
俺は傷付きたいんだ!
滅茶苦茶になりたいんだ!
心の痛みも、アイツの事も、全て消してしまいたい!
なのに何故抱いてくれない?
何故傷付けてくれないんだ―――とお門違いも甚だしい苦情を男に言った。
不能野郎!
役立たず!
意気地無し!
甲斐性無し!
思いつく限りの罵声を男に浴びせた。
男がキレても仕方の無い程罵倒した。
男が怒って怒りに任せてレイプまがいに俺を抱く事を望んでいたのに、男は怒りもしなかったし、呆れる事もしなかった。
ただ俺の言葉を受け止め続けた。
叫び続け喉もカラカラに渇き言葉も出なくなった時、初めて男は俺の事を抱きしめた。
「大丈夫だよ」
耳元で低い声はそう言った。
俺は本当に傷付きたかったのだ。
どうにかなってしまいたいと願っていたのに・・・
男の優しい抱擁が・・・
言葉が嬉しくて涙が零れた。
男の腕の中で肩を震わし、大声で泣いてしまった。
男は優しく俺の頭を撫でよしよし―――とまるで幼い子供をあやす様に言った。
◆ ◇ ◆
気が付くと朝になっていた。
アルコールが入っていた所為か、泣き疲れてしまった所為か、俺は何時の間にか眠ってしまったらしかった。
自分でベッドへ入った記憶が無い事から男が俺を運んだのだろう。
1人では広すぎるベッドに男の姿はなく、ソファの置かれている部屋に行くと窮屈そうにして男は眠っていた。
男の身体を揺さぶり起こすとおはよう―――と微笑んだ。
「良く眠れたかな?」
「何でベッドで寝ないんだよ」
男は困ったような顔で笑い、俺の頭を優しく叩いた。
大方一緒に寝たらしたくなるって事だろう?
俺は散々抱けと喚き散らしていたのだから遠慮する事なんかないのに、変な男だと思った。
朝ご飯は何が食べたいと問われ、軽いものと答えると男はルームサービスを頼んだ。
暫くして運ばれて来たのは、トーストとベーコンエッグにサラダとコーヒーといった喫茶店などのモーニングメニューのようなものだった。
朝ご飯を食べながら俺は俺の世界を崩壊させたクソ野郎の愚痴を感情をたっぷりと練り込んで話した。
男は相槌を打つだけで口を挟む事はせずにただ聞いてくれた。
一通り言いたい事を言い終えるとそれを察して男は大丈夫だよ―――と言った。
「大丈夫って何が?」
「君の信じて来たモノはくだらなくないし、間違っても居ない」
「本当?」
男は優しく微笑んだ。
「君だけが思い、君だけを思う存在は必ず居る。真実の愛だってちゃんと存在している。絶対だ。ただソレに逢えるかどうかの問題だよ」
「あんたは違う? 俺だけの人じゃない?」
「残念ながら違うね。私は博愛主義者だからね」
男は悪戯っぽく笑った。
男の『違う』と言う言葉に残念な気持ちも覚えたが、俺自身も目の前の男は『違う』と感じていたので、それ程悲しみはなかった。
「訊いていい?」
「答えられる事ならなんなりと」
「本当は男抱ける人?」
男は一瞬間を置いてそして、抱けるよ―――と言った。
「何で俺の事抱かなかったの?」
「君はお金が欲しいわけでも、人肌恋しいわけでも、ましてや私を好きなわけでもないようだったからね。私は自分が抱いた人間にはほんの少しでも幸せになって欲しいんだ。だから傷付きたいなんて理由は認めないんだよ」
俺は急に自分が恥ずかしくなり、ごめんなさい―――と謝った。
「謝る必要はないよ。誰だって自暴自棄になったりする時くらいあるさ。ただね、一時の感情に流されて出鱈目なマネをしたら後々後悔する事になる。バカなマネをしたと後悔する。君の家族も友達も君を大事にしてくれると思うけど、結局自分を一番大事に出来るのは自分だけなんだから自分から傷付こうなんて思わない様にね」
昨日偶然出会った名前も知らない赤の他人に、こんなにも真剣に向き合ってくれてなんていい人だろうと思った。
家族も友達も学校の先生もこんなに真剣に向き合ってくれた人間など居なかったから胸が詰まった。
「ねぇ」
「うん?」
「幸せを感じる為なら抱いてくれる?」
俺の唐突な質問に男は目を丸くした。
「何を言っているんだ?」
「あんたに抱かれたら幸せを感じられそうだなぁって思うんだ」
男は親指と人差し指で眉間を抑え、考え込んでしまった。
「傷付きたいというのはもう良いのかい?」
「泣いて寝たらどっかに消えちゃったよ」
「一時の感情で動くと後悔するかもしれないよ?」
「大丈夫。俺基本的にポジティプ野郎だからきっといい思い出になるよ」
男は深い溜息を吐いた。
そして伏せていた目を開き、俺を見ると、再び視線を逸らし立ち上がった。
ゆっくりとベッドのある部屋のドアに向かい、ドアを開け、振り向き手を差し出した。
「おいで・・・」
誘うように差し出された手に吸い込まれるように俺は近寄り手を取った。
「俺、真幸響也【まさき きょうや】。あんた名前は?」
「名前?」
「ヤっている最中にあんたとか君とか変だろ?」
それもそうだな―――と男は笑った。
「私は安威沢 将也【あいざわまさや】だよ響也くん」
俺の名前を呼ぶと将也さんは優しく唇を重ねた。
目を閉じ少し口を開くと、将也さんのしっとりと濡れた舌が俺の口に入って来た。
上手く応えなくっちゃ上手く応えなくっちゃと、必死になっているうちに段々何も考えられなくなり、将也さんにしがみついた。
何も言っていないのに将也さんの手は俺のイイ所を探り当ててしまい、俺はやっぱり必死にしがみつき、その言葉しか知らないみたいに将也さんの名前を呼んだ。
俺は何度となく絶頂を迎えさせられたが、その事で幸せなんかは感じなかった。
ただ優しく抱いてもらっている事だけは分かったから・・・
俺は男は一人しか知らないけど、多分これから何処の誰よりも将也さんが一番だと思えるくらいに大事に扱ってもらっている事に感動して幸せを感じた。
自分と真剣に向き合ってくれた男に抱かれている事に幸せを感じた。
将也さんとは今後付き合う事はないだろう。
今日だけの関係かもしれない。
それでも今だけは本当に幸せを感じていた―――
◆ ◇ ◆
「マサヤ口緩んでいるぞ」
突然呼ばれて俺は我に帰った。
「何をトリップしているんだよ勝負中に」
「昔の恩人の事をちょっと思い出してね」
「恩人? イイ男だったのか?」
目の前の男は興味なさそうに訊いた。
「何で男だと思うわけ?」
「野生の勘・・・かな? 違うのか?」
「違わないよ。とびっきりイイ男だった」
ふうん―――とやはり興味なさそうに言った。
「そんな事より早く指せよ」
目の前のこわもて系イケメン男に催促され、遠慮なく駒を置いた。
「・・・マサヤその手待たねぇか?」
「指せって言ったり、待てと言ったり、忙しい男だね竜也【たつや】くん」
俺は小バカにするようにわざとくん付けで呼んだ。
竜也は苛立たしそうに凶悪な目付きを寄り一層凶悪して俺を睨んだ。
「ってかなんで将棋なの? スポーツ系なら竜也に分があるだろうに」
「俺は相手の土俵で叩きのめすのが好きなんだよ」
「男らスィ―。ステッキ―そんな竜也くんにはそろそろ僕の本名を教えてあげようか?」
「要らねぇよ。お前なんかマサヤで十分だ」
「名前も知らないでは心の友になれないじゃん」
「お前と心の友になる気はないね」
「酷いなぁ〜。あーあオイラ寂しん坊」
ショボくれる演技をして床に転がると、薄汚れた天井が見えた。
顔を横に向けると竜也は苦虫でも噛み潰した様な顔をしている。
待ったの聞き入れをしたので竜也は次の手を必死に考えていた。
「なぁ」
「うん?」
「自分だけが思い、自分だけを思ってくれる存在っているかな?」
「またそれか・・・世界の何処かには居るだろうよ。焦ってんのか?」
「だってさ俺は恩人と別れてから八年間探し続けているのに見つからないのに竜也の弟はもう見つかっているぽいしさ・・・」
「どうだか分からないぜ。あいつ等の事も・・・もしかしたら違うかもしれないしな・・・」
早く逢いたいな―――と言いながらチラッと竜也を見た。
すると思いっきり迷惑そうな顔をした。
「何度も言うが、俺は『お前だけの人』じゃないからな!」
「俺だって竜也なんか嫌だよ!」
人差し指で口端を引っ張り思いっきり舌を出してアッカンベーをしてやった。
竜也はフンと鼻を鳴らしただけだった。
本当を言えば、俺はこの竜也という男が好きだった。
名前も素性も知れない俺と真剣に向き合ってくれるし『俺だけの人』の話も笑わずに聞いてくれたから・・・
でも、竜也もまた将也さん同様愛しい存在であっても俺だけの人でない事は分かっていた。
早く逢いたいなぁ・・・
逢えるといいなぁ・・・
俺だけの人に・・・
そんな事を思いながら俺はそっと目を閉じた。
竜也の催促する声はまだ暫く聞けなさそうだったから・・・
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