灰冠中尉と雪白小尉
駆け引き-5-
■■■
月曜日の昼休み。
灰冠の執務室には二人の男と二体のアンドロイドの姿があった。
執務室の主は、出勤途中に買った弁当を食べながら話をし、向かい側に座っている、軍人とは思えない髪型の男はクックックッと喉の奥で笑いながら話を聞いていた。
「ベッドに寝かされていたのを怒って雪白少尉は来ないのか?」
既に指定席となっている雪白の席が空な理由を聞き、穂野村は実に楽しそうに笑った。
「目を覚ました時の雪白少尉の顔があまりにも素敵だったから、俺もはしゃいじゃったのがいけなかった」
「はしゃいだ?」
「うん。『おはよう。僕の可愛い人』と言いながら頬を指で撫でたのが火に油だったかと・・・」
「殴られただろ?」
「殴られはしなかったけど、その後のあいつの顔がこれまた素敵で・・・」
「ふうん。その顔を例えるなら?」
「般若ノ面デシタ」
な、サイ?―――と、同意を求められ、今朝『ちびサイ』と『ネコサイ』の情報を入れられ、情報の統合が済んでいたサイは「はい」と答えた。
灰冠の例えを聞いて穂野村は噴出す。
「ははっ。想像に易いな」
「美人が凄むと恐いって、改めて認識したよ」
そう言って、灰冠はだし巻き玉子を箸でつまみ上げ口に運ぶ。
話が一旦途切れ、穂野村も持参したハンバーガーを頬張る。
数分間二人は昼食を口に運ぶ事に専念した。
ハンバーガーを食べきり、コーヒーで喉を潤すと穂野村は「それで」と切り出した。
「俺の拾ってきた情報は役に立ったのか?」
問われて、口に物が詰まっている灰冠はコクコクと頷いて返事をした。
急いで口の中の物を飲み込む。
「穂野村中尉が情報を取ってきてくれなかったら、俺は今頃屈辱と恥辱で枕を濡らしていたね」
「どうだか」
穂野村は口元に微笑みを残したまま、疑わしいそうに灰冠を見た。
「あまり、過大評価しないでくれよ中尉。俺は中尉が思うほど出来る男じゃない」
「そうかい?だが、自分で言う以上には出来る男だろ」
灰冠は笑って、肯定も否定もしなかった。
「まぁ、それはそうと。情報が役に立ったなら報酬を貰おうか」
「ああ。俺が知りうる情報なら何でも一つだけ渡そう」
穂野村はコーヒーを一口飲むと組んでいた足を逆に組み直した。
「俺はお前さんを『面白い』と思っている」
「光栄だ、と言っておこう」
「お前さんをもっと深く知りたい」
「穂野村中尉に言われると、勘違いしそうになるな」
茶化すように言うが、穂野村は微笑んだまま、静かに見つめるだけだった。
話をそらせる気は無いという態度に、灰冠は軽く息を吐く。
「俺、個人の事でよければ何でも訊いてくれ。隠しも、誤魔化しもしない」
「なら、一昨日の行動の説明を聞きたい」
「うん?」
穂野村が聞きたい一昨日の行動がどれか分からず灰冠は首を傾げた。
「対馬と飲みに行ったのは『薬を飲まされる』状況が必要だったからだろ?奴が薬を持ち出さなかったら自分で用意していた薬を飲むつもりだった。違うか?」
「薬の購入履歴、見たのか?」
「質問しているのは俺だぜ」
相手に一方的に質問し、答え意外は取り合わない。
テレビで見る刑事ドラマの取調べの様だと灰冠は心の中で笑う。
「穂野村中尉の推測は正しいよ」
「何故、薬を飲む必要があった?」
「俺が酒に強い事は噂で知っているだろ?酒に潰れたでは雪白少尉が来てくれない。かといって具合の悪いフリをしても・・・俺は演技派ではないから簡単に見破られる。で、薬を飲んで潰れてみた」
「そんな事は分かっているよ。分かんないのは、雪白少尉を呼び出した目的だ」
「家に連れ込んで、不埒なまねをしようと目論んでいた」
何時もの柔らかい笑顔のまま言う。
悪びれた様子も、照れた様子も無い。
冗談とも真実とも、どちらにでも取れる。
だが、穂野村は確信的に「そいつは嘘だな」と、言い切った。
「嘘?何を根拠に?」
顔は微笑んでいるが、目は・・・
目だけは、心を透かすかのように強い光りを持って向けられている。
その視線に居心地の悪さを覚え、穂野村は顔をしかめた。
「ただの勘だ」
「ダウト」
カードゲームのコールを言うような灰冠に、穂野村は顔を曇らせた。
「何だって?」
「勘だなんて嘘だな。本当は見たんだろ?」
「見たって何をだ?」
「サイの中にある俺のブロックファイル」
「まさか」
サイ、ハッキングの痕跡、あるか?―――穂野村に問われ、サイは痕跡が無い事を告げた。
「当たり前だ。ZKの防壁は日ノ国の最高峰だぜ。俺を買い被ってくれるな」
「穂野村中尉なら、ZKの防壁を掻い潜り、痕跡を残さずにデーターを盗めるんじゃないのか?」
「バカは休み休み言うのが、会話のルールじゃないのか?」
「バカじゃなく、本気だから連続で言っているんだがな」
「夢見がちでも温かく見守って貰えるのは十代までだぞ。灰冠中尉」
「俺は夢も希望も理想も胸に持ってはいるが、歳相応に現実を知っているし、今は現実の話をしている」
「期待に添えなくて悪いが、俺には灰冠中尉の言うようなまねは出来ない」
「そうか?でも、見ていないとなるとおかしいな。一番もっともらしい理由を聞かされて『嘘』だと断定するには根拠が必要だ。あの事を知っていなければ、あのタイミングで嘘だとは言えない」
「言い切るがな。お前さんは何を根拠にそれを言うんだ?」
「俺の根拠は穂野村中尉が俺を『面白い』と言った事だ」
灰冠は自信満々の笑顔で言う。
「あん?」
「俺なりに穂野村慎という男を分析し、気に入った人間に対する行動パターンを追ってみた」
「それで?」
「穂野村中尉は確実に俺を事調べる」
「当て推量だな」
「まぁ、当て推量だったけどね。今さっき、七十パーセントから百パーセントの確信に変わったよ」
自信に満ちた灰冠の微笑みを目の当たりにし、穂野村これ以上の追求を避ける為、強引に話を変える。
「おい。どうでもいいが、質問者と回答者が入れ替わってるぞ」
「うん」
「『隠しも、誤魔化しもしない』んじゃなかったのか?」
不機嫌そうに言う。
「勿論だ。ただ、良い機会だから、気になっていた事をハッキリさせるために鎌を掛けさせてもらった」
穂野村は静かに灰冠を見た。
「中尉は認めてはくれないが、俺は確信を得たから、もう、いい。この話はこれで終了だ」
そう言うと、灰冠は手の平を勢い良く合わせ、パシンと鳴らせた。
「さて、質問の続きだけど・・・穂野村中尉は雪白少尉が俺を嫌う訳をご存知かな?」
「また、質問か?」
「必要な事だから訊いている」
「んー・・・。家は、代々続くエリート軍人家族。母親は事業を手がけていて金持ち。本人は、長身でスタイル良しのイケメン。教養があり。経済観念もしっかりしている。頭の回転が速く、仕事も出来、運動神経抜群。一選抜に加え親の七光りで一番の出世株。軍人にあるまじき水虫無感染者・・・だからだろ?」
「うん」
「まぁ、これだけそろっていれば雪白じゃなくとも反感を覚えるだろうな。世界中の嫉妬を買占めよろしく、みたいな?」
「世界中とはいかないが、何処へ行っても媚か喧嘩を売られるな」
おどけるように肩をすくめる。
「それで。海難事故に見せかけて、海の藻屑にしてやりたい男ナンバーワンの灰冠中尉。質問の意図を明確にしてくれないか」
「雪白は俺に何一つ勝てないんだ」
「はぁ?」
「士官学校から勉強も運動も飲み比べも、何一つ勝った例がない」
「自慢話か?」
「いや、ただの事実だ」
聞く者が聞けば嫌味にしか聞こえないセリフを別段気にした様子も無く「ああ、そう」と、穂野村は流した。
「それで、まぁ、雪白少尉は勘違いをしていてな」
勘違い?―――訝しげに訊くと、灰冠は「うん」と頷く。
「俺を押しても、引いても決して崩れないものだと信じている。アレを見ればそんな事は無いと直ぐに分かるのにな」
「アレ?」
「穂野村中尉も見た、俺のブロックファイル」
「見てないって言ってんだろうが!」
「んじゃあ、見たかもしれないファイル。アレね。雪白のZKにも入れてあるんだ」
灰冠の告白に正直に驚いた穂野村は、目を見開き一瞬動きを止めた。
その様子を見て、灰冠はクスリと笑った。
「中尉は正直者だな」
やられた―――と、慌てて表情を隠すが、遅い。
本日二度目の鎌に、まんまと引っかかってしまった穂野村は、心の中で舌打ちする。
灰冠に非難を受けるか、あるいは秘密を知られた事により逆上されるだろうと思ったが、予想に反して灰冠は「それは良いとして」と軽く流してしまった。
あまりの軽さに、盗んだブロックファイルが偽物だったのではないかと疑ってしまうほどだった。
だが、盗んだファイルは裏付けの為に、データーを基に情報を追い、確証を得ていた。
穂野村は自分の仕事を信じた。
下手に質問をすれば、ハッキングを吐露する事になりかねない。
バレてはいるが、証拠が無いのだから、しらをきりとうすのが常套手段の為、口を噤む。
「ファイルを見れば、俺の弱点を知る事が出来るのに、見てくれないんだよ」
「自分のZKに、そんなものが入っている事を知らないんじゃないのか?」
「知ってるよ」
「何でそう言いきれるんだ?」
「俺が教えたからな」
はあぁ!?―――穂野村は呆れるあまり、大仰に驚いて見せた。
「バッカじゃねーの!」
「バカとは酷いな。これでもちゃんと考えて行動しているぞ」
「考えて行動しても、バカな考えじゃ、意味がないだろう」
「確かに一理ある」
「一理じゃねーよ。自分からロープに首掛けるようなまねして。何考えているんだ」
「俺はただ、分かって欲しいだけさ」
「何を?」
「俺が難攻不落の要塞なんかじゃない事をだよ」
それで、薬を飲んで無防備な姿を晒したのか―――問うと、灰冠は返事の変わりに微笑んだ。
穂野村は面識の無い、情報でしか知らない男に同情した。
「対馬はいい面の皮だな。お前さんに利用されて」
「喧嘩を売ったのは向こうだ。仕方ない」
「食えない奴」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
灰冠は半分以上食べ終わっている弁当に箸を伸ばし、食事を再開する。
穂野村は訊きたい事があったが、報酬としての質問の答えは貰っていたので食事が終わるのをぬるいコーヒーを飲みながら待った。
時間を掛けて飲んでいるコーヒーよりも先に灰冠の食事が終わり、穂野村は問いかける。
「訊いてもいいか?」
そう問う、穂野村の顔に何時もの甘い笑みはなく、変わりに暗い影が落ちている。
「答えられる事ならな」
灰冠は穂野村の表情を別段気にする事もなく、軽く返事を返した。
「俺はお前さんの前に二度と現れない方がいいか?」
「何で?」
「俺が側に居たら、情報を盗まれやしないかと疑心暗鬼になるだろ?」
「穂野村中尉以外のハッカーがうろちょろしていたらそうかもしれないな。でも、中尉なら平気だ」
「俺なら・・・?」
「中尉が個人的に人間を調べるのは愛情表現だと理解している」
ブロックファイルを盗んだ事など全然気にしていないと言う様に深く微笑む。
穂野村は表情無く、目の前の男を見ていた。
「人間嫌いの中尉が個人を調べるのは特別って事だろ?」
「灰冠中尉を特別嫌っている、とは考えなかったのか?」
「人間嫌いの人間が、わざわざ特別嫌いな人間に会いに毎日通うとは考え難い」
「俺は嫌いな人間を陥れる為なら労力を惜しまないぜ」
無表情な顔を歪ませ、シニカルな笑みで言った。
「俺を陥れる為にここに通っていたとしたら、数分前の質問はおかしいよ、中尉」
対馬に誘われた日、ZKを保管庫に収納した時も、灰冠が言うよりも早く依頼される事を予測し、待っていた事。
自分の存在がストレスを与えるのではないかと心配し、確認した事。
これらは自分と友好関係を築きたいと思っている証拠だと灰冠は穂野村に突きつけた。
「違うか?」
言葉も口調も訊ねる形を取っているが、自分の言っている事に自信が無いわけではない。
強く確信しているのである。
優秀な出題者は質問をする時、既に答えを知っている。
灰冠志狼は、まさにそれなのである。
半月、灰冠の執務室に通ってはいたものの、世間話をするだけで踏み込んだ話など一度たりともしていなかった穂野村は、今日初めて駆け引きめいた会話をし、その事を思い知った。
『違う』と言ったところで灰冠の確信は揺るぎもしないのだろう。
なら、素直に『肯定』する事が妥当だと穂野村は考える。
だが、素直に認めてしまうのは恐い気がし、穂野村は口を噤んでしまった。
暫くの間、穂野村が答えるのを待っていたが、答える気が無い事を察した灰冠は唐突に右手を差し出した。
「中尉。握手をしようか」
ニッコリと微笑みながら言われ、穂野村は困惑した。
「握手って、何だそりゃ」
「握手と言うのは手と手を・・・」
「そんな事は知っているよ。何で握手しなきゃいけないんだよ」
「したいから」
実にシンプルで明確な答えを返され、穂野村は「俺はしたくない」と突っぱねた。
それもそのはずで、穂野村は二十八年間生きてきて一度たりとも他人と握手などした事が無いのだ。
それは極度の人間嫌いと穂野村を取り巻く人間と環境の所為だった。
たかが握手といえども、穂野村にとってそれは未知のものであり、恐怖だった。
それを見透かしてか、灰冠は「大丈夫だ」と微笑む。
何が大丈夫なのかと問えば「ちゃんと手は洗っている」ととぼけた事を言う。
「そんな事は気にしていねーよ!」
それなら―――と、握手を笑顔によって強要する。
灰冠は握手をしようと言い、穂野村は断る。
自分が灰冠の手を取るまで、この押し問答は永遠に続くような気がした穂野村は、折れた。
おずおずと手を伸ばし、差し出されている灰冠の右手に重ねた。
触れた手から他人の体温が伝わり、違和感を感じた穂野村は落ち着かない気分になった。
灰冠は重ねられた手をしっかりと握ると、空いている左手をも添え更にしっかりと握った。
「穂野村中尉は、傷付き易い心を持っているな」
予想もしない言葉を言われ、穂野村は歪に笑い返した。
「口説かれているのか、俺は?」
からかう様な口調で言った。
茶化すなと、灰冠が怒って手を放せばいいと思った。
だが、灰冠はあっさりと肯定してしまった。
「そう、口説いている。大人しく口説かれてくれるか?」
自分で投げた悪ふざけに乗られてしまっては、その悪ふざけを続けるしかなく、穂野村は溜息混じりに会話を続ける。
「中尉の誘い方次第だな」
「そうか。ならば、全身全霊をかけ本気で挑ませてもらおう」
フフッ―――と、灰冠は柔らかく微笑んだ。
「穂野村中尉」
「うん?」
呼ばれ、灰冠の手と重なっている手に落としていた視線を上げる。
灰冠の顔には何時もの微笑みはなく、代わりに真剣な表情で穂野村を見ていた。
「俺は、中尉を傷付けたりしない」
唐突なセリフに困惑する。
言葉の意味が分からない訳ではない。
そんな事を言われる覚えがない訳ではない。
それどころか、灰冠がこんな事を言う理由が穂野村には思い当たり過ぎて、嫌になるほどだった。
穂野村が極度の人間嫌いになるにはそれなりの過去がある。
だが、そんな過去はデーターとして残ってはいない。
穂野村自身が持ちうる全ての能力を使い、抹消してしまったからだ。
しかし、データーを消しても過去が消える訳ではなく、穂野村の事を知っていれば、その過去は容易に想像が付く。
その為、これまで見知らぬ人間に、同情と哀れみと蔑みの目で見られ、陰口と言う心無い行為によって傷付けられて来た。
灰冠の様に面と向かって、しかも手を握って『傷付けない』と宣言を受けたのは初めてで、どうして良いのか分からず、顔を顰める
「愛の告白の常套句は『幸せにする』じゃないのか?」
「幸せにする自信はないが、傷付けない自信はある」
「不甲斐ない男だな」
「取っ付き易くていいだろ?」
灰冠は悪戯っぽく笑うと、握っていた手を放した。
突然手を放され、突き放されたようで穂野村は寂しさを覚えたが、それを悟られまいと目を伏せる。
「残念だが、時間だ」
言われて腕時計を見ると、昼休み終了五分前であった。
「また今度、時間がある時にゆっくりと口説かせてくれ」
そう言われ、心の何処かで安堵する自分に穂野村は驚き、眉根を寄せた。
穂野村の表情を間違えて捉えたのか、灰冠は「迷惑か?」と訊ねた。
「別に、俺はいいけどね。雪白に嫌われても知らないぜ」
なんとか取り繕ってそう言うと、灰冠は「大丈夫だ」と言った。
「既に底辺にいるのに、これ以上嫌われようがないさ」
「違いない」
声を殺すように笑うと、穂野村は自分のZKに声を掛け、執務室を後にした。
穂野村は深い溜息を吐くと、情報保安室に戻るため歩き出す。
白い廊下を大股で歩きながら、友好関係を築きたいと思っていた事を認めさせられたのだと気付く。
もしも、手を差し伸べられた人間が自分ではなく・・・例えば友好関係を築くつもりもない雪白の様な者だった場合、握手などしなかっただろう。
相手にどう思われようが関係ないのだから、無視する事も手を叩く事も出来る。
それが出来なかった時点で、自分が灰冠に好意を持っているのは火を見るよりも明らかだ。
しかし、それにしてもさっきのアレはなんだったのだろう?
手を握られ、『傷付けない』と宣言され、手を放される事によって寂しさを感じ、言葉を貰い安堵する。
俺は・・・掌握されたのか?
灰冠のブロックファイルを盗み、秘密を握り、確実に強い立場にいたはずなのだ。
それなのに、友好関係を築きたいという願いを知られ、傷口触れられ愚鈍になった心を揺り動かされ、気付けば自分の方が立場が弱くなっている。
結局、灰冠に懐柔されてしまったのだと、穂野村は自分自身に舌打ちした。
■■■
穂野村が執務室を退出した後、サイは昼食時に使用している簡易テーブルとイスを片付けた。
デスクに座り、それでもまだ仕事に取り掛からない灰冠に、穂野村の足音が聴覚に届かなくなったのを確認してから話しかけた。
「中尉。私は本当にハッキングされたのでしょうか?」
「うん」
「気付きませんでした」
「気付かないようにやるのがハッカーだよ」
「防壁替えますか?」
「ZKの防壁は日ノ国の最高峰だ。そうそう破られるものじゃない」
「ですが、穂野村中尉は破ったのでしょ?」
「あれは特別だ。これくらいの曲芸は見せてくれないと仕事を頼めないよ」
灰冠はニッコリと微笑む。
「灰冠中尉。わざと盗ませたのですね」
「何故そう思う?」
「ハッキングされる事が分かっていながら、防壁以外の策を講じませんでした」
「うん。理由はそれだけか?」
「もう一つ。灰冠中尉は弱点を晒す事で穂野村中尉への心理的効果を狙ったのかと思いました」
「どんな?」
「人間は自我を防衛しようという心理から、失敗や恥を出来るだけ隠そうとします。地位や家柄の良い人間。有能な人間であればあるほど弱みを見せまいとする心理が大きく働きます。それに反して故意に弱点を晒す事で、人間的な親近感を感じさせる事が出来ます。さらに、秘密を共有する事によって繋がりを強める事が出来ます。違いますか?」
「良く勉強しているな」
灰冠が手を伸ばすと傍らに立っていたサイは腰を折り、頭を差し出した。
幼い子供を褒めるように灰冠はサイの頭を撫でた。
「中尉。今回の事を自分なりに整理してみたのですが、聞いて頂けますか?」
頭を下げたままサイは、黒目だけを動かし主人を窺った。
「いいよ」
灰冠が頭から手を放すと、サイは折っていた腰を伸ばし、直立した。
「灰冠中尉は雪白少尉のコンプレックスを和らげるために、いずれ無防備な姿を晒す必要がありました」
「うん」
「私が完全に灰冠中尉の望むモノになれた時、役目を全うするために腕利きのハッカーも必要です」
「そうだな」
「私が対馬軍曹の情報を拾ってきた事によって、二つを同時に消化しました」
「偶々そうなっただけさ」
灰冠は肩をすくめた。
「いいえ。私は灰冠中尉は確信犯だと思います」
作り物の瞳は、真っ向から主人を捕らえて放さない。
自分にだけは真実を語れと言うような態度に、灰冠はクスリと笑う。
「俺は何時だって、確信犯さ」
灰冠は妖しく笑った。
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