優しい匂いシリーズ

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白い記憶・黒い凍み-4-

目を開けると、真っ暗だった。

そのため、一瞬自分が何処にいるのかも分からず身体に緊張が走った。

よく目を凝らせば、部屋の様子から自分の寝室だと分かり、安心して胸をなでおろした。

だが、霞がかったようにぼんやりとする頭は、今が朝なのか夜なのかすら判断出来ないでいたため、時計を見ようと身体を起こそうと試みるが、腹の辺りに何かが巻きついていて上手くいかない。

腹に巻きついているモノを退かそうと触れた時、それが人の手だと分かり困惑した。

『誰』だ?

そう思いながらも、自分を抱きしめる人間は光以外にはいないだろうと、『手』の持ち主を光だと解釈し安心した。

背中に感じる身体の硬さと温かさを心地よく感じた。

「起きたのか?」

背中からした声が、光以外の男のもので俺は身体強張らせた。

俺の緊張を察して、背中の男は微かに笑った。

「寝たら忘れたか?」

何を?

「俺は稔川竜也。光の兄貴。お前さんを恋愛と性的対象に見れない男」

名前とセリフを聞いて、何処かに迷い込んでいた記憶が浮上する。

「あ・・・・・・竜也さん」

「思い出してくれたか?」

「すみません」

「いいよ。別に。それより、まだ二時間しか寝てないぜ。もう一回寝ときな」

そう言って、竜也さんは俺の腹に巻きつけたままの手を動かし、ポンポンと腹を叩いた。

「あの・・・・・・」

「ん?」

「この体勢、竜也さん疲れませんか?」

「正直言って疲れた」

やっぱり。

もたれている俺ですら身体が軋むように痛いのに支えている側が平気な訳が無い。

長時間同じ体勢でいるのはしんどいだろうに、俺を寝かせておくためにずっと我慢してくれていたんだ。

「もう、大丈夫ですから」

そう言うと、竜也さんは俺の腹に巻きつけていた腕を抜き、抱きかかえるように俺の背中にあった身体を退かすと、そのままベッドに潜り込んで来た。

目が暗闇に慣れてきたから、竜也さんの顔が見える。

「あの・・・・・・」

「ん?」

「何ですか?」

「添い寝」

「俺、一人で寝れますから・・・・・・」

闇の中で竜也さんは微笑んだ。

「説得力無いね。いいから、おいで」

ベッドの中央で上半身を起こしたままでいる俺を寝かしつけようと腕を引っ張る。

「ちょっと」

光の兄貴相手に本気で抵抗する訳にもいかないから、小さく抵抗してみせる。

だが、そんなものは軽く無視され、結局俺は竜也さんの真横に寝かされた。

「お休み」

竜也さんは掛け布団の上から俺の身体をポンポンと叩く。

なんとも自分ペースな人だ。

俺は観念して目を閉じた。

竜也さんが身体をポンポンと叩くのが心地よくて、俺は何時の間にか、また眠りに着いた。







■■■

俺の眠りは浅い。

だから物音や人の気配で目が覚める。

と、言っても完全に覚醒する訳ではなく、能が起きるだけで身体は眠ったままだ。

だから目は開かないし、声も出ない。

身体も満足に動かせない。

金縛りに近い感覚。

で、今がまさにその状態だ。

隣で寝ていた竜也さんがベッドから出て行った気配で目が覚めた。

ぼんやりする頭で『トイレか?』と、推測する。

身体はまだ眠ったままだから動かない。

ベッドの中でまどろむ様にしていると、暫くして竜也さんは戻って来た。

ギシッとベッドが軋み、気配が近付く。

掛け布団を剥がされ、エアコンの冷気が身体を撫でる。

仰向けに寝ている俺を覆いかぶさるように、気配が近付く。

耳に息が掛かる。

『何?』と思った時には唇が首筋に吸い付いていた。

『え?』『何で?』『どうして?』と、頭が混乱する。

恋愛と性的対象にならないと、光に嫌われたくないと言ったくせに!

どういうつもりだ。

冗談?それとも寝ぼけているのか?

いや、今は、そんな事どうでも良い。

早く、竜也さんを退かさないと・・・・・・

光を怒らせる! 嫌われる!

そんな事、冗談ではない。

『止めろ』

叫んでいるはずなのに声が出ていない。

叫びたいのに声が出ない。

能は叫べと指令を下しているのに、何処かで伝達が途切れてしまっているように声が出ない。

身体も同様に動かそうとしているのに、動かない。

光・・・・・・光・・・・・・念じるようにその名を繰り返す。

だが、呼んだところで都合よく現れるものではない。

もしも、運良く現れたとしても、この状況を見られたら・・・・・・

考えただけで冷たいものが流れる。

右へ、左へと首筋に唇を這わせ、一旦離れた唇は今度は俺の口を塞いだ。

半ば強引に進入してくる舌は、口腔をくすぐりながら絡まってくる。

光・・・・・・。

助けて・・・・・・。

光。

光。

光。

名前を呼ぼうとするが、塞がれた口からは呻きがこぼれるだけだ。

言葉にならない声を聞いて竜也さんは、俺が苦しんでいると勘違いしたらしく、口を解放した。

離れた唇は、顎をなぞりながら首へ向かう。

光に嫌われたくない。

止めて欲しい。

声は出るのだ。

頑張れば叫べる。

『止めろ』と『放せ』と叫ぶ。

だが、実際口からこぼれるのは言葉にならない呻き声の様な声。

首筋を這っていた唇が、肩口に歯を立てた。

ピリッと痛みが全身を駆け巡った。

甘噛みなんてものじゃない。

かなり強く噛まれている。

血は出ていないだろうが、歯が肉に喰い込んでいる。

痛みで身体にスイッチが入ったのか、一気に目が覚めた。

「助けて! 光!」

大声で助けを請うと、肩口に噛み付いていた頭が揺れる。

肉に喰い込ませていた牙を外すと、俺を見下ろすように見た。

朝日が顔を照らす。

「何を・・・・・・」

俺は

「助ければ」

驚きで

「良いんですか?」

声が出なかった。

夢を見ているのか?

それとも、幻覚を見ているのだろうか?

ずっと助けを求めていた相手がいる。

光。

「何で・・・お前・・・熱・・・」

言葉にならない。

「熱は下がりました。ここへ来たのは今さっきです。先輩の家の鍵と兄さんが居なくなっていたので、先輩に何かあったんだと思い、来ました」

俺の不明瞭な質問に、光は端的に答える。

言葉使いは何時も変わらないのに、冷たく感じるのは淡々としゃべるからか?

「倒れたんですってね」

それとも、笑顔が無いからだろうか?

「お前の兄貴のおかげで助かった」

「眠れましたか?」

「ああ」

答えると、光は顔を引きつらせた。

ギリッと歯軋りさえ聞こえそうだ。

「寝たんだ。竜也兄さんと」

何・・・言っているんだ?

「光、お前何か勘違いしてないか?」

「勘違い? してませんよ。昨日は竜也兄さんに抱き枕してもらって寝たんでしょ?」

そうだ。

ただ寝ただけだ。

それなのに、何故そんな顔するんだ?

光の彼女だと勘違いして、女と寝た時だってそんな顔しなかったじゃないか。

そんな・・・今にも噛み付きそうな顔。

獰猛な獣みたいな・・・

「竜也兄さんは、優しくて、温かくて、大人で、余裕で何でも包み込んでくれる。俺だってあの人には寄りかかりたいと思う時がある。志野原先輩なら尚更そう感じるんじゃないんですか?」

「お前、何が言いたいんだ?」

「俺じゃなくても良いんでしょ? 優しくて温かければ誰だって抱き枕になれる。俺でなくったって良いんだ!」

プッッと何かが切れた。

正確には切れた気がした、だ。

優しくて温かければ誰でもいい?

冗談じゃない!!

お前じゃないと駄目なのに・・・

知ってて言っているのか?

お前が居なければ精神の安定も図れない俺に、誰でも良いだと?

俺は怒りを露にし、顔の真上にある光の顔を睨み付けた。

「光、本気で言っているのか?」

静かに問う。

「・・・・・・」

光は眉間に皺を寄せ、押し黙った。

「確かにお前の兄貴は優しいし温かい。でも、俺はあの人を欲しいなんて思わない。何をされても感じないし、嬉しくもない」

「でも、一緒に・・・・・・」

「昨日、俺が大人しくされるがままになっていたのは、竜也さんがお前の大好きな兄貴だからだ。嫌われたり、怪我させたらお前を困らせると思って、そうしていただけだ。お前の兄貴でなかったらその辺にある物で殴ってる」

「俺・・・・・・」

「お前だけだ」

そう告げると、獰猛だった光の目から、力が失われていった。

額を俺の胸にあて、光は項垂れた。

「すみません。俺、竜也兄さんには勝てる気がしなくて・・・・・・」

「え?」

「もしも、先輩が竜也兄さんに惹かれたら、阻止できないなって・・・・・・」

「そんな心配していたのか?」

「だって、先輩のベッドに入れるのは・・・寝かせてあげられるのは俺だけだと思っていたのに、簡単に竜也兄さんにやってのけられたから、頭テンパッちゃって・・・・・・」

これは・・・もしや、嫉妬と言うやつなのか?

通りで、獰猛な目をしていた訳だ。

光の様子がおかしかった訳が分かり、溜息が出た。

安心したら急に喉の渇きを感じた。

「光、退いてくれ」

弾かれたように光は顔を上げた。

「水が飲みたい」

光が上から退き、上半身を起こす。

ベッド脇にあるチェストを見れば、昨日の晩竜也さんが持って来た水がそのままあった。

チェストの上のコップを取るため、右手を動かすと痛みが走った。

さっき光に噛まれた肩が痛い。

その事を痛みに歪む顔から察したのか、光は「すみません」と謝った。

「水、取ってくれ」

言うよりも早く光はコップを取っていたらしく、目の前にコップを差し出された。

受け取ったコップを煽り水を一気に飲み干した。

コップを渡すと、光はそれをチェストの上に戻す。

「お前、思いっきり噛んだろ?」

恨みがましく言うと、「すみません」と申し訳なさそうに光は謝った。

「いいけどさ」

俺は右肩がどうなっているか見る為に着ていたTシャツを脱いだ。

見れば、見事な程に真っ赤な歯型がクッキリと付いていた。

痛い訳だ、と心の中で溜息を吐く。

冷やした方が良いだろうと思い、上半身裸のまま、おもむろにベッドから下りてドアに向かった。

左手でドアノブを握り、引き、少しドアが開いた途端にしまってしまった。

肩越しに見れば、後ろに居る光が、ドアを開かない様に押していた。

「何してんだ?」

「先輩。俺は先輩の特別ですか?」

「ああ」

特別に決まっている、と答えれば、光は優しく微笑んだ。

「それなら、先輩を俺に下さい」

一瞬何を言われたのか分からず、答えあぐねいていると肩に痛みが走った。

「イテッ・・・・・・」

肩口に付いた歯型をなぞる様に舐められ、ジクジクとした痛みに身を竦めた。

「止め・・・そこ痛いって」

身を捩って逃げようとすると、後ろから抱きすくめられ、動けなくなった。

「おい、光」

肩口から離れた唇は、耳朶をかすめる様に顔の横にやって来た。

低く甘い声が囁く。

「ベッドも抱き枕も俺だけではなくなってしまったから、別の・・・俺だけが特別だと思えるものが欲しいんです」

ドキドキと心臓が早鐘を打つ。

「先輩。前に俺に訊きましたよね? 自分が望めば、足を開いて恥ずかしい処も見せるかと・・・・・・。あの時、俺は見せると答えました。その気持ちは変わっていません。先輩が望むなら見せます」

光が俺に好きだと、愛しいと告げてくれた夜の言っているのだろうか?

あの時は光の気持ちが信じられず、信じてはいけないと自分自身に言うために意地の悪い事をわざと言った。

本気ではなかった。

ただ、気持ちを試すために言った言葉なのに・・・

「先輩は見せてくれます? 俺が望めば」

自分に向けられ、初めて言葉の恐さを知る。

光は、よく即答出来たものだと敬服する。

見られて嫌われたらなどと考えたりしなかったのだろうか?

俺は・・・恐い・・・。

女のそれとは違う身体を見られ、幻滅されたらと思うと喉から声が出て来ない。

「沈黙はYES、ですか?」

黙りこくった俺を追い詰める。

「ひ・・・かる、俺は・・・」

「YESか、NOしか聞きませんよ」

答えをはぐらかそうとする俺を、なおも光は追い詰める。

NOなどと言える訳もなく、俺は「YES」と小さく答えた。

包み込むように回された腕に力が込められる。

「有難う御座います」

光の顔は見えないが、声の調子から喜んでいるのが分かる。

納得のいく答えを貰ったのだから、もう良いだろう?

「光」

「はい?」

「そろそろ放してくれないか?」

巻きついている光の腕をポンポンと軽く叩いてみる。

「何故です?」

「落ち着かない」

「落ち着く必要があるんですか?」

放す気は無いと言うように、腕に力が込められる。

「さっきから心臓が早鐘を打ちっぱなしですね」

クスッと笑われ耳が熱くなるのを感じた。

「放せよ」

「嫌です」

この野郎―――!

「ドキドキしているのも緊張で身体を硬くしているのも、全部俺が特別だと言ってくれているようで嬉しいです。まだ、浸っていたい。いや、もっとかな」

チュッと首もとを吸われた。

「おい!」

「先輩は沢山の女性と寝たんですよね?」

今更隠す事でもないので俺は「そうだよ」と素直に答えた。

「でも、まだ身体を開いていない」

「え?」

「開いてくれますか? 俺のために。俺だけに」

身体が震えた。

寒さや、恐怖からではなく、緊張で。

光の手が胸を弄り、首筋をねっとりと舐める。

手が胸を触っている感触も、首を舐める舌の温かさも分かる。

感触としては感じる。

だが・・・・・・

何も感じない。

乳首を摘まれ、引っ張られようが、『触られている』ぐらいにしか感じない。

首を舐められても、吸われても、『舌があたっている』としか感じない。

快感らしい感覚は何も無い。

どうしよう、と頭がパニックを起こす。

なんの反応もしないこの身体をつまらないと思われたら・・・・・・

俺とSEXした事で虚しさを感じられたら・・・・・・

嫌われるかもしれない。

どうしよう。

どうしよう。

どうしよう。

身体を開く事は簡単だ。

でも、出来ない!

目を閉じて、身をゆだねてしまえばいい。

そんな恐い事出来るものか!

今はまだ、駄目だ。

この手を・・・光を拒もう。

だが、拒否して大丈夫だろうか?

怒らせるんじゃないのか?

嫌われるんじゃないのか?

どうしよう。

どうしよう。

どうしよう。

頭は迷走するばかりで、出口が見えない。

フリーズした様に動けずにいると、痛みには反応を示したのに、愛撫に何の反応も示さない事を不審に思ったのか、光は手を止めた。

「先輩?」

窺う様な呼びかけに俺の身体は竦んだ。

『止めてくれ』と一言言うだけだ。

だが、理由も無く『止めて』と頼んでも、聞き入れてもらえないんじゃないだろうか?

「先輩、俺の事嫌ですか?」

混乱する俺を追い詰めるような質問を投げられ、胃を握られているかのようにキリキリする。

特別だと、お前だけだと、恥ずかしい処も見せると言った。

嫌であるはずがないのに。

知ってて、分かっていて訊く。

ずるい! 酷い! 俺は、嫌われたくないだけなのに・・・・・・

逃げるなと、拒むなと、追い詰める。

だが、今は、俺は逃げるしかない。

「光」

声が震える。

「はい」

対称的にしっかりと落ち着いた声。

「光。俺は・・・せ・・・」

「せ?」

「性・・・病検査をまだ受けていないんだ」

唯一の逃げ道にしがみ付く。

光はゆっくりと俺を振り向かせた。

頭一つ高い光と、視線が合う。

「性病検査、ですか?」

光は面食らったように、俺を覗き込み、聞き返した。

「俺が結構な数の女と寝てきたのは知っているだろ?」

「はぁ・・・」

「だから、ちょっと待ってくれ」

引きつる顔で懇願する。

光は何も言わず、ただ俺を見つめている。

しらけさせてしまっただろうかと、思うと胃がキリキリする。

「ごめん」

謝ると、光は俺の頬を優しく撫でた。

「俺の方こそ、せっついてすみません」

苦しそうな表情で謝る光を見て、本当に追い詰めているのは俺の方ではないのかと感じ、どうしようもない罪悪感が胸に広がり息が詰まった。
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