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優しい匂い

光サイド-10-

 最近先輩の様子がおかしい。
 今まで、俺と居る時は楽しそうに笑っていたのに、ここ数日俺といる時も辛そうな顔をする事がある。
・・・なんだろう?
 ずっと我慢してきた人だから何も言わないのだ。
 俺も我慢する方だと思う。
 心の底にあるものは他人には言わない。
 父と兄にだけだ、包み隠さずになんでも話すのは・・・
 話せるようになるまで結構時間はかかった。
 本心を言って嫌われるのが恐かったから、当たり前のように話せる今がとても幸せだと思う。
 先輩には誰もいない。
 心を預けられる人が誰一人として・・・
 俺が早くそういう存在になれればよいのだけれど・・・
 朝目を覚ますと先輩が泣いていた。
 聞けば恐い夢を見たらしかった。
 ポロポロと肩を震わせながら泣く先輩があまりにも弱々しくて、何時もなら一度家に帰ってから学校へ行く所を今日は先輩の傍に居る事にした。
「先輩大丈夫ですか?」
「俺、カッコ悪いな」
 先輩は笑いながら答えた。
 何時も通りに先輩は学校に行く支度を始めたので、俺も朝ご飯を作り、着替えをした。
 登校中、何度となく先輩と目が合った。
 だが、何か言いたそうにして言葉を飲み込むと目を逸らされてしまった。
「どうかしましたか?」と訊いても「なんでもない」と返されるだけだった。
 休み時間は忙しくて先輩の所には行けなかったが、今朝の事が気になり、放課後は誰かに捕まる前に先輩の所に向かった。
 志野原先輩は俺の姿を認めると複雑な表情をした。
 今までは俺を見れば嬉しそうな、安心する様な顔をしたのに・・・
 何故?
 俺は優しく微笑みながら「帰りましょう」と言ってみるが、先輩は俯いたまま「ああ」と言うだけだった。
 やはり変だ。
 歩き出して直ぐにそう思った。
 今まで先輩は必ず横に並ぶような形で歩いていたのに・・・
 今は俺の後を追うように一歩下がって歩いている。
 俺は何かしただろうか?
 先輩の様子がおかしくなったのは何時からだろうか?
 頭の中でグルグルと同じ質問が回っていた。
 先輩が女生徒を陥れようとした事をたしなめた事で、俺が煩わしくなったのだろうか?
 先輩の生活は滅茶苦茶だから色々口やかましい事を言ってしまう。
 それが鬱陶しくなってしまったんだろうか?
 考えれば考えるほど分からなくなってしまい、グルグルと思考を巡らせていると、門の側に佇む人影が目に飛び込んで来た。
 思いがけない人物が立っている事に驚き、思わず歩みを止めた。
 ドン!
 背中に軽い衝撃が走った。
 急に立ち止まってしまった為先輩が背中にぶつかってしまったらしかった。
 何故か不味い気がする。
 向こうが気付く前に先輩を連れ、裏門から出て行った方がいいような気がした。
 どうしようかと一瞬躊躇ってしまったのがよくなかった。
 向こうは俺の姿を見つけてしまい小走りで駆け寄って来た。
「良かった。会えて」
 嬉しそうにそう言った。
 彼女・・・西村加奈子【にしむらかなこ】とは小中と一緒だった幼馴染だ。
 加奈子は明るくて活発で何時も笑っていた。
 笑っている人間が側に居ると、明るい気持になるから
 加奈子が側に居る事は好ましかった。
 幼馴染という気安さからか、加奈子からよく頼み事をされた。
 良い子をずっと演じてきた所為か、それが癖になっているのか、頼み事は中々断る事が出来ずに出来る範囲内の事はやっていた。
 勿論、他の人間に頼まれ事をされてもやっていたが、どういう訳か彼女が一番目に付いたらしく、何時の間にやら周りから付き合っているとか何とか言われるようになってしまった。
 違うとキッパリと断言してもよかったんだが、加奈子に恥じをかかせては悪いかと放っていた。
 加奈子がそのうち違うと言うだろうと思って・・・
 だが、加奈子は噂に便乗して「彼女です」と冗談を言うようになってしまい、ますます違うとは言えなくなってしまった。
『私なんかと誤解されちゃってゴメンネ』と加奈子は申し訳なさそうに言ったが『気にしていない』と返すと、加奈子は『じゃあさぁお互い好きな人が出来るまでゴッコでいいから付き合おう』と持ちかけてきた。
『バレンタインとかクリスマスとか周りが騒いでいる中誰も居ないの寂しいんだよ! 嘘でもなんでも相手が居ると嬉しいの! ねっ? お願い!!』
 何度も何度も頭を下げられてしまい、NOとは言えなかった。
 特別な人が出来るまでの事だから良いと思った。
 別々の高校に進み、会う回数が減り、加奈子とは行事の時だけ合う仲間の様な状態だった。
「加奈子・・・どうしてここに?」
「やだ、忘れたの?今日私の誕生日だよ!」
 そう言えばそうだった。
 最近は志野原先輩の事で頭が一杯で忘れてしまっていた。
「ごめん。忙しくて・・・」
「もしかして私以外に彼女出来たんじゃないの?」
 加奈子の言葉にギクリとした。
 先輩の顔を見ると蒼白だった。
 加奈子は本当の彼女ではないが、何の事情も知らない先輩にすれば本物なのだ。
 前に俺の名前を出して先輩をやり込めようとした女性は先輩の怒りに触れ、陥れられてしまった。
 先輩は俺の名前を出しただけでもアレなのだから、彼女なんていう存在は許さないような気がする。
 俺の自惚れかもしれないが、先輩には俺だけなのだから・・・
 出会ってからの先輩の俺への執着心は結構凄い。
 それも先輩の過去を知れば頷けるが・・・
 適当に紹介して、後でちゃんと説明すれば大丈夫だろうか?
 俺の心配を他所に加奈子は自分は彼女だと言ってしまった。
 先輩の表情が凍っていくのが分かった。
「誕生日くらい一緒に居てくれるんでしょ?」
 加奈子は俺の腕を引っ張りながら揺すった。
 加奈子には悪いが、俺にとって先輩の方が大切な存在なのだ。
 付き合っているとかではないが、特別な人だ。
『今日は駄目だ』と断ろうとした時だった。
「彼女と居てやれよ」
 先輩の口から思いがけない言葉を聞いた。
「先輩!?」
 驚いて先輩の方に向き直る。
「俺の方はいいから・・・」
 一応微笑んではいるが、無理していると分かった。
「でも・・・」
「心配するな。今日は晃の処にでも行くから・・・」
 そんな嘘、俺が信じるとでも思っているのかこの人は?
 先輩の腕を掴もうと左手を伸ばすが、加奈子に右腕を引っ張られてしまい宙を掻いた。
「折角先輩が気を利かせてくれてるんだから行こう。光v」
 先輩は何も言わずに踵を返してしまい、顔が見えなかった。
 スタスタと何時もよりも早い歩調で去って行く後姿が寂しそうに見えた。
 加奈子の腕を振り払って追いかけたいと思うのだが、加奈子を傷付けたくない。
 先輩の所には今晩行ってフォローすれば大丈夫だろうと、俺は加奈子と学校を後にした。



「・・・かる?・・・光!?・・・ているの?」
 ハッとして我に帰ると急にザワザワと雑音が耳に飛び込んで来た。
 辺りを見渡すと自分の今居る場所はファミレスらしかった。
 どうやってココまで来たのかも分からないが、見ればテーブルに多分自分で頼んだだろうコーヒーが置かれていた。
「ごめん加奈子・・・何か言った?」
「さっきからボォ〜としてどうしたの?」
 先輩の・・・見えなかった顔が気になって仕方なかった。
 あの時先輩はどんな顔をしていたのだろうか?
 何時も俺が先輩の家を出る時に見せるあの顔をしていたとしたら・・・
 置いていかれる子供のような・・・縋るような顔を・・・
 あんな顔をさせたくないから一緒に居る事を選んだのに、俺は一体何をしているんだろう?
 時計を見れば先輩と別れてから1時間半が経っていた。
 今から先輩の家に行こう。
 加奈子には悪いが誕生日は後日改めて祝うという事で許してもらおう。
「加奈子ゴメン!急な用事を思い出したんだ。誕生日はまた今度祝わせて貰うから・・・本当にゴメン!!」
 言うや否や立ち上がり会計を済ませるとファミレスを後にした。
 先輩の家に向かい歩いていると、後ろから加奈子が追いかけて来た。
「ちょっと待ってよ光!!」
 俺の腕を引っ張り立ち止まらせた。
「急な用事って何? 私のバースディよりも大事な用事なの?」
「うん。ゴメンネ」
 ハッキリそう言うと加奈子は恐い顔をした。
「やっぱり彼女出来たんだ・・・」
「違うよ! 彼女じゃないって!」
「嘘付き!!だったらちゃんと説明してよ!!」
 まいったな・・・本当の事言うわけにはいかないし、どうしたら分かってもらえるんだろうか。
 俺が答えに困っていると、加奈子とは逆方向から思いっきり腕を掴まれた。
「よかった光・・・ココに居たんだね・・・」
 思いがけない人間の登場に、俺は正直驚いた。
 俺の腕を掴んでいる黒髪の少年は、黒い大きな瞳を潤ませながら切羽詰った様子で「大変なんだ! 兄さんが・・・兄さんが・・・早く来て!!」そう言ってグイグイと腕を引っ張った。
「先輩がどうかしたんですが!?」
「いいから早く来てよ!兎に角大変なんだ!!」
 晃くんの様子があまりにも尋常ではなかったので、先輩の身に余程の事が起こったのだと血の気が引いた。
「分かりました。そういう訳だからゴメン加奈子」
 加奈子をその場に残し、晃くんと共に車道に止めてあったベンツに乗り込んだ。
 車がゆっくりと走り出す。
 エアコンが入っている訳でもないのに背筋が冷たく感じた。
 どうしよう・・・先輩にもしもの事があったら・・・
 一緒に帰ればよかった!
 先輩を1人にするべきではなかった!!
 無事でいてください!!
 祈るように手を握り締め俯いた。
・・・クスクス。
 かすかに笑い声が聞こえた。
 声のした方に顔を上げてみると、先程まで大粒の涙を流しそうな程潤んでいた瞳はすっかり乾いていた。
 代わりに嬉しそうな微笑を浮かべ、俺を見ていた。
「可愛いなぁ光v」
 まさか!?
「嘘だよ」
 騙された!!
「何で・・・?」
「あの女ウザかったから」
 ウザかったって・・・?
「車乗っていたら光を見かけたんで、挨拶でもしようかと車から降りたら丁度あの女が光に駆け寄って来てさ、見てたら何か言い争っていたから助けてあげようかと思ったんだけど余計な事だった?」
 正直助かった。
 素直にそう言うと晃くんは「でしょv」と言って笑った。
「ところでさぁ光。あのショボイ女何? まさか彼女とは言わないよね? だとしたら僕笑い死ぬかもしれないから嘘でも違うって言ってよね」
 言いたい事を言う人だ。
「晃様!」
 運転手の昭島さんが窘めるが悪びれた様子もなく「だって本当にイケてない女だったんだもん」と言った。
 加奈子と俺の関係を説明すると、溜息を吐かれた。
「バカ? 光バカ?? 何キープ君にされてんのさ! このお人よし!!」
 怒られた・・・
 何で晃くんに怒られているんだろう?
「僕の嫌いなタイプだ・・・世間一般的に嫌われるタイプの女だよ! 絶対調子に乗ってるよ。いい男と少し関わりがあるだけで、自分が人気者みたいな気になっていい気になっているクソバカ系」
 酷い言われようだ・・・
「ムカツクから早く縁切って! 僕の為! 世界の平和の為に!! お人よしの良い子ちゃんの光の口から言えないなら僕が代わりに言って上げる! 一週間は立ち上れない程ボロボロになるくらいにねv だから早く電話番号教えてv」
 可愛い顔して恐ろしい事言う。
 そんな事言われて教えられる訳がないじゃないか。
「言う時は自分で言いますから大丈夫です!」
 キッパリ断った丁度その時、携帯電話の着信音が鳴り響いた。
 制服のポケットから携帯を取り出すと横から晃くんに奪い取られてしまった。
「あっ!!」
 慌てて携帯を取り返そうとするが、上手く手を払われてしまい奪い返せなかった。
「もしもし?・・・僕は光くんの友達です。はい、換ります」
「ご家族からだよ」と言って電話を差し出した。
 電話を受け取り出てみると低い声がボソボソ喋りだした。
『おう、光か? 竜也の奴が足捻ってよ今日の配達難しいんだわ。今から帰って来れるか?』
「今すぐに帰る」とだけ告げ電話を切り
 晃くんに訳を話し、車を止めてくれるように頼んだ。
「忙しいね光は・・・いいよこのまま送ってあげる。嘘吐いちゃったお詫びにねv 昭島、光くんの家まで行って」
「はい」
 短くハッキリとした返事をし、昭島さんは直進車ようのレーンから左折専用レーンに車を移動させた。
「光・・・女の事はどうでもいいけど、八方美人はやめた方がいいよ。広く浅く優しさ降り撒いて良い人をやって来たんだろうけど、貢相手にそれは無理だから・・・」
 痛い所を衝かれた。
 俺にとって父と兄以外は全ての人間が同じだから、平気で優しく出来た。
 最初は稔川の一員になるための演技だった。
 取り入る為の笑顔。気に入られる為の優しさ。必要とされる為の勤勉さ。
 演技をする必要がなくなっても一度身に染み付いたモノは中々取れなかった。
 俺は笑っているのが普通。
 優しくて当たり前の人間だと形作られてしまっていたから、皆のイメージを壊さないようにしてきた。
 内側の事などおくびにも出さずに笑顔でやり過ごした。
 だって、本気じゃなかったから。
 父兄以外は皆同じくらい好きで、同じくらい気持が無かった。
「ちゃんと優先順位を決めなよ。でないと全部失う事になるかもしれないからね」
 黒髪の少年は恐いくらい真剣な眼差しで言った。
 先輩の事は初めてあった時に、強烈な魅力で引き寄せられてしまい、憧れを抱いた。
 自分の中に先輩に対する憧れは強く残っている。
 だからこそ辛そうな先輩をほっとけなかった。
 自分の出来る事を何でもしてあげたかった。
 好きなのだ。
 先輩が・・・
 恋愛感情とは違う意味で・・・
 同情も入っているかもしれない。
 ただ、自分の中で特別な存在である事は分かっていた。
 加奈子にはきっちり話をつけよう。
 あっちにもこっちにも良い顔していては先輩は救えない。
「有難う晃くん。彼女の事は今日中に話をつけて先輩だけにするから・・・」
 言い終えると同時に車は稔川酒店と書かれた看板の前に着いた。
 店の手伝いを始める前に加奈子に電話をして彼氏彼女ゴッコを辞めようと持ちかけた。
 加奈子はしきりに訳を聞きたがっていたが、話す必要は無いと一切理由は話さなかった。
 納得しないながらもゴッコを辞める事に同意してくれた。
 手伝いを始めようと店に出て行くと、レジカウンターの内側で椅子に座っている兄と目が合った。
「悪い、ドジ踏んだ」
 兄の竜也は照れくさそうに人差し指で額を掻いた。
「大丈夫?」
「たいした事はないんだけどよ、親父が大事とれって言うから今日一日休むけど・・・明日からは大丈夫たから心配するな。
 先輩の所に行くのが遅くなっちまうな悪い・・・」
「何時も俺の我儘で最後まで店の手伝いしないでいるんだから、こういう時くらいは頼ってよ。それでちゃんと休んで治してよ」
 キキッー!!
 ブレーキ音が鳴り響き振り返ると配達用の軽トラから仏頂面の父が降りて来た。
「荷物積み込むから手伝え光」
 言うと同時に踵を返し店の隣にある倉庫に向かった。
「兄さんの分も頑張ってくるから叔父さんに捕まらないように祈ってて」
 兄は笑いながら頑張れと言った。
 今日は運良く叔父さんに捕まる事無く帰れたが全ての仕事が、終わった時には夜中の一時になっていた。
 何時ものように仕度をし、先輩のマンションに辿り着いた時には一時半になっていた。
 ロビーの鍵を開けてもらうために入り口にあるインターフォンに先輩の部屋番号を入れた。
 コールが二回鳴り終えないうちに先輩は出た。
「光か!?」
 やっぱり何処にも行かずに俺が来るのを待っていたのだ。
「夜分にすみません。稔川です」
 名乗ったと同時に目の前のドアが開いた。
 エレベーターに乗り込み最上階のボタンを押し先輩の住む階に着くのを待った。
 小さく上下に揺れエレベーターは止まり、ドアが開いた。
 開いたと同時に志野原先輩がエレベーター内に入って来て抱きしめられた。
 壁に押し付けるようにきつく・・・
「先輩!?」
 少し震えている。
 やはり不安だったのだ。
 俺が、先輩を置いて何処かへ行ってしまうのではないかと・・・
 たどたどしい手付きで抱きしめた。
「先輩・・・大丈夫ですよ。俺は傍にいますから・・・」
 返事の代わりに、しがみ付く先輩の手に力が込められた。
「何処にも行きませんから・・・」
 安心させる為に何度も繰り返し言った。
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