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優しい匂い

光サイド-13-

 通い慣れた道を戻り稔川酒店と書かれた店の前に辿り着いた。
 シャッターは全て下りていたが、中から明かりはもれていた。
 父も兄もまだ店内で仕事をしているらしかった。
 店の入り口の真裏にある家の玄関へ回り家の中に入ると、トイレから出て来た兄とでくわした。
「あれ?光・・・今日は早いな。お泊りは無しか?」
「うん」
 完結に答えた。
 俺は何時ものように微笑んでいるつもりだったが、竜也兄さんには分かってしまったらしい、急に恐い顔をした。
「何かあったのか?」
 何かあったと言っていいのだろうか?
 頭が上手く働かない。
 なんて答えていいか分からない。
 答えずに黙ったまま固まっていると、兄さんはもっと恐い顔になった。
「まさかアイツに何かされたんじゃ・・・」
 何かされたのは加奈子であって俺じゃない。
 加奈子が俺の本当の彼女であれば寝取られた事になるが、加奈子と俺は何でも無いから俺は何もされていないよな?
 それにしても兄さんの言動は今日一日おかしい。
 喧嘩が強いとか負けるとか・・・
 意味が分からない。
「光?」
「別に何もされてないよ。ただ・・・」
「ただ?」
「先輩には俺はもう必要なくなったみたい」
 笑いながらそう言うと兄さんは酷く驚いた顔をした。
「志野原がそう言ったのか!?」
 直接そう言われたわけじゃなかったが、そう思うに至った理由・・・
 加奈子の事などを話すのが今は面倒だった。
 無言で微笑むと兄さんはそれ以上何も訊いてはこなかった。
「仕事まだ終わっていないの?何か手伝おうか?」
「いや、仕事はもう終わっているから大丈夫だ。お前明日学校あるんだから、もう休め」
 竜也兄さんは優しく微笑んだ。
「うん。そうする」
 店の方に行き、小説にハマッてしまいその場から動けなくなっている父に「お休みなさい」と挨拶して2階ある自分の部屋に向かった。
 着替えを持って1階にある風呂場に行く為に階段を下りた。
 風呂に入ると不思議な感じがした。
 昨日まで店の手伝いが終わると直ぐに先輩の家に向かい、風呂も御飯も先輩の家で済ませていたから・・・
 風呂から出て部屋に戻り布団を引き寝る支度を整えた。
 布団に入るとやっぱり変だった。
 ここ何ヶ月かずっと先輩の家で先輩と一緒に寝ていたから、自分の布団に1人で寝る事に違和感を覚えた。
 毎日左側にあった美しい寝顔が無い。
 何時もしがみ付くようにして回されていた腕の重みが無い。
 心地良い肌の温もりも何もかも・・・
 何だろう?
 この喪失感は・・・
 寂しい。
 昨日まであったものが急になくなってしまった所為だろうか?
 だとしたら時間が経てば元に戻るのだろうか?
 1人で寝ていた頃に・・・



 今週は委員会の朝の仕事は入っていなかったが、朝一番に生徒会室に行き、窓から志野原先輩の姿を探した。
 生徒会室の窓から正門がよく見える。
 先輩の家に行かなくなって今日で三日目だが、先輩は学校に登校して来ていないようだった。
 また元に戻ってしまっただけだ。
 抱き枕として必要とされているだけだったのだからその役目を失った時、俺はその他大勢の中の1人に戻ってしまった。
 自分ではいい関係が築けていると思っていたから、抱き枕としての役目を失った後でも友達として一緒に居られるのではないかと勝手に思っていた。
 あんな切られ方をしたのでは先輩がそんな関係を望んでいないのがよく分かる。
 所詮俺は都合の良い抱き枕だったわけだ。
 それ以上でもそれ以下でもなく・・・
 今までの事が全て無意味だったと思うと酷く悔しかった。
 悔しくて、情けなくて、悲しかった。
 放課後生徒会の仕事も終え、殆どの生徒が下校し静まり返った廊下を歩いていた。
「稔川くん」
 後ろから品良い声に呼ばれて振り返ると葵澄【きすみ】生徒会長が立っていた。
「何か御用ですか?」
「キミが・・・ここ何日か元気が無いようなので・・・」
 竜也兄さんだけでなく葵澄生徒会長にまで分かるほど落ち込んでいるのか俺は?
 重症だな・・・
「心配おかけしてすみません。大丈夫ですから」
 ニッコリ微笑んで見せた。
 葵澄生徒会長は納得しない様子でジッと俺を見つめたが、溜息を吐いてから目線を右斜め下に落とし、煩わしそうに眼鏡を左手で僅かに上へずらし位置を直した。
「いいでしょう。キミがそう言うなら、そう言う事にしておきましょう。でも、これ以上あんな男の為に傷付いたりしないで下さい」
 驚いた!
 原因までばれていたのか・・・
 上手く隠せていると思っていたが結構表に出ているんだな・・・
 それ程に俺が先輩にのめり込んでいたのだ。
 志野原先輩の俺に対する執着が凄いと思っていたがそうではなかった。
 俺こそが先輩に執着していたんではないだろうか?
 だからこんなにも引き摺っている。
 俺は葵澄生徒会長に「有難う御座います」と告げ、踵を返して中央玄関に向かった。
 靴を履き替え玄関から出ると横殴りの強い風邪に呑まれた。
 砂埃が目に入りその場に立ち止まり、俯き目を擦る。
 痛みで暫く目が開けられなかった。
 目を擦っているうちに涙が出て来て目の中の異物を流してくれた。
 少し痛みがあるものの目を開けられるようになり涙を拭って顔を上げると、風に短い黒 髪を乱されながら1人の少年が立っていた。
 華奢で小柄な体格に整った顔立ち。
 何時ものように薄い笑いを浮かべながら「待ちくたびれたよ」と不平を漏らした。
 何で晃くんがここに?
 まさか先輩に何かあったのではないかと詰め寄ると、ニッコリ笑って「別に貢は普通だよ。生き死体みたいにぐったりと横たわっているだけ」と、何でも無いように言った。
 何で?
 先輩は大丈夫になったんではないのか?
 だから俺を切ったはずなのに・・・
「貢のバカが何したか知らないけど光はアイツを見捨てる事にしたの?」
 何を言っているんだこの人は・・・
 俺が見捨てる?
「俺が切られたのに・・・先輩に・・・」
 ボソリとこぼしてしまった。
 それを聞いて晃くんは不思議そうな顔をした。
「貢が光を切った? 何それ・・・ちゃんと話聞かせてよ」
 晃くんから何時もの薄笑いが消えている。
「ゆっくりと話の出来るところに行こう」と俺の手を掴んで引っ張った。
 俺は晃くんに引き摺られるようにして晃くんの後を歩いた。
 晃くんに引き摺られながら学校から一番近いファミレスだった。
 周りを見渡すと平日の夕方の所為か学校帰りの学生の姿が多かった。
 従業員に案内されて禁煙コーナーの窓際の一番隅の席に座った。
 暫くして従業員が注文を聞きに来たが、話をするための場所が欲しかっただけなので食べたいものもなく、仕方なしに俺はコーヒーだけを注文した。
 晃くんは何故か特大のジャンボパフェを注文した。
 品物が届くまでお互い何故か黙ったままだった。
 俺は何から話してよいものか頭の中で整理していた。
 晃くんはそれを見越して俺が話し出すのを静に待っていてくれた。
 大体の整理が済んだくらいにコーヒーが運ばれて来た。
 晃くんの注文したものが届いてから飲もうと待っていると、少ししてチョコレートパフェが運ばれてきてビックリした。
 メニューで見た時は良く分からなかったが実物を見るとかなりの大きさだ。
 普通のパフェの三倍はあるだろう。
 こんなモノを1人で食べきれるのかと少し心配し「こんなに食べられますか?」と訊いてみた。
「わーい美味しそうv」と晃くんはおどけて見せ「食べたい?」と楽しそうにバナナをホークで刺し、俺の顔の前に差し出した。
「結構です」と断ると「つまんない」と言って差し出したバナナを自分で食べた。
 それをきっかけに俺は先輩の事を話した。
 ここ数日の態度の異変。
 加奈子との事。
 なるべく自分の感情は挟まずに事実だけを話した。
 晃くんは聞いているのかいないのか、相槌も打たず黙々と目の前にあるパフェをスプーンですくっては口に運んでいた。
 俺が全てを話し終えるとそれまで規則正しく動かしていたスプーンを持つ手を止めた。
「それで光は貢に切られたと思ったんだ・・・」
「そうとしか考えられません」
「ふうん。でも、おかしくない?」
 何が?
「光の思っている通りなら何で貢は泣くのさ。要らなくなったモノを捨てるんでしょ? 泣く必要なんか全然無じゃん。それに、あんなショボイ女とわざわざ寝る必要も無いんじゃない? 光を切るんだったら無視するのが一番手っ取り早いでしょ?」
 そう言われればそうかもしれない。
 ならなんで先輩は加奈子と寝たのだろう?
 俺の疑問を知ってか知らないでか「貢が加奈子とか言う女と寝る事のメリットとデメリットて何だと思う?」と続けた。
 メリットとデメリット・・・
「貢は黙っていたって女の方から寄って来るんだよ。モデルとか女優とかレベルの高い女がね。それなのにわざわざあんなのと寝たんだから理由が無くっちゃ変でしょ?」
 確かに先輩なら選り取り見取りだろう。
 なのに俺の彼女ということになっている加奈子をわざわざ選んで寝たのだから、俺と切れたかったとしか思えない。
 俺が自分の彼女と寝るような人間を笑って許す人間だとは、先輩も思っていなかっただろう。
 やはり俺と切れたかったとしか思えなかった。
 そう言うと、晃くんはイライラしたように持っていたスプーンでパフェをザクザクと刺した。
「なんで分からないかな・・・普通は分からないモノかな?」
 何も分からない。
「光の彼女を選んで寝たんだよ。他の誰でもない光の彼女を・・・」
 だからそれは俺への嫌がらせとしか思えない。
 実際は加奈子は俺の彼女でも何でもないのだから嫌がらせにも何にもならない。
 先輩と加奈子が付き合おうが何しようが俺のとやかく言う事ではないのだ。
 ただ、先輩は勘違いしたまま加奈子と寝たのが問題なのであって・・・
「例えば加奈子って女が光の本当の彼女だったとしたら光はどうしていた?」
 どって言われても・・・
「他の男と寝たのにその後何事も無かったみたいに笑って付き合い続けられる?」
 多分無理だと思う。
 他の人間とそういう事になるのだから、俺への気持は無いものと別れるに違いない。
 別れる・・・
 まさか!?
 俺の表情の変化を晃くんは見逃さなかった。
 それが正解だと言わんばかりに微笑んで見せた。
「貢は自分から女を誘ったりしないよ。言い寄ったのは加奈子の方だろうね」
 それはなんとなく想像が出来た。
「貢の奴、滅茶苦茶ムカついただろうな〜。光の彼女のクセして自分に言い寄ってくるんだから・・・」
「俺と加奈子を分かれさせる為に・・・でも、加奈子と寝たら俺が先輩のもとを去る事だって想像付いたはずじゃ・・・」
 晃くんはニヤリと意味ありげに微笑んだ。
「別れさせる方法ならいくらでもあったのにわざわざ寝たのは何でだと思う?」
 分からない。
 理由が思い当たらずに俯き考え込んでいると、晃くんは意外な答えを言った。
 答えが意外過ぎて俺は言葉の意味が理解出来なかった。
 聞き間違いではないかと、聞き返すが、晃くんの口から発せられた言葉は同じものだった。
「間接SEXしたかったんだよ」
 頭が付いて行かない。
 間接SEXって言うのは間接キスとかと同じものだろうか?
 物を媒体として目的の人が口付けた物にキスするのが間接キスなら、先輩は加奈子を媒体として一体誰とSEXしたかったというのだろう・・・
・・・・・あれ?
 先輩は俺と加奈子が付き合っていると思っていたんだよな?
 まさか!?
 そんなわけない!!
 俺は男だし先輩だって・・・
「間接SEXと言うのは間違じゃないですか? 俺は男だし先輩だって男ですよ」
「男同士だからなに? 関係無いでしょ?」
 何でもない事の様に言う。
 関係あるだろう。大いに・・・
 大体、同性同士でそういう対象になりえるのだろうか?
 疑問をぶつけると晃くんは笑った。
「対象になったから貢は光の事避けてたんでしょ」
「避けてた・・・?」
「加奈子と寝る前にも様子がおかしかったんでしょ? それは光を意識しているのを必死に隠していたんだと思うよ」
 それを聞いて急に恥ずかしくなった。
 先輩の行動の一つ一つの裏にそんな気持が隠されていたなんて・・・
 今なら竜也兄さんの言った言葉の意味も分かる。
 顔が熱い。
 耳まで赤くなっているに違いない。
 でも、なら何故先輩は・・・
「俺が自分のもとを去るかもしれないのに加奈子と寝たんでしょうか?
 俺の事をその・・・
 好きだとしたら俺を失うようなマネしないんじゃないですか?」
「遅かれ早かれ失うと思ってたんじゃない? 光は貢の事全然そういうふうに見てないし、何しろ受け入れてもらった事無いからね・・・愛される自信なんか無いんだよアイツ」
 確かに先輩は、自分が愛される存在だと認識していないようだった。
 自分に群がる人間は金目当てだと思っていた。
「女への怒り・嫉妬・嫉み、光への欲望・執着・愛、色々な物が混ざり合って爆発したんだろうね・・・」
 晃くんの言葉を聞いて今回の事は自分にも責任があったと思った。
 加奈子が彼女ではないとちゃんと説明していたら先輩は寝たりしなかっただろう。
 嫉妬したり嫉んだりする必要は無かったのだから・・・
 自分の至らなさに反省した。
 何気なく晃くんを見ると溶けかけのパフェをすくい、口に運んでいた。
 まだ容器の中には半分以上のアイスが入っている。
 俺がジッとパフェを見つめているとスプーンですくって「はい、あ〜ん」と言って俺の方へ差し出した。
 俺は無意識にソレを食べてしまった。
 満足そうに微笑んで「光はこれからどうするの?」と唐突に質問された。
 先輩が必要としてくれるなら抱き枕に戻りたいと思っている事を告げると、溜息を吐かれた。
「それがどう言う事だか分かってて言っているの?」

「貢はキミの触れたもの全てに嫉妬するよ。女の存在なんて許さない。これがどう言う事だか分かる? 可愛い奥さん貰って、夢のマイホーム云々なんてささやかな夢すら実現出来ないんだ」
・・・・・。
「一緒に居ればそのうち襲われるだろうし、アイツは光の人生を滅茶苦茶にするよ! いいわけ? そこまでアイツに尽くす義理は無いんじゃない?」
 確かに義理なんかはない。
 でも、俺が傍に居ないとあの人は・・・
「安っぽい同情心で一緒にいたって、後で泣くだけだよ。貢が死ぬのはアイツの勝手! 自分で自分をコントロール出来ないのが悪いの! 大体自分の幸せ守る為に人1人見殺しにするくらいなにさ! 自分が不幸になる事に比べたら人1人死ぬ不愉快さなんて大した事無いよ!」
 先輩が死ぬ・・・
 そんな事は絶対に嫌だ!!
・・・前にも同じ事を思った事を思い出す。
 あの時は先輩に手を差し伸べるかどうかの決断だった。
『困っている人間を助けたいだけならやめとけよ。愛していないなら…お前が辛くなるだけだ…』
 竜也兄さんの言葉がよみがえる。
 俺はずっとこの言葉の意味を間違えて捉えていたのかもしれない。
 現に先輩の精神が正常に戻った時に自分は捨てられるだろうと、その覚悟ばかりしていた。
 報われないのを覚悟で尽くす事が出来るかどうかの決断。
 自分が傷付くよりも先輩が死ぬのが嫌で覚悟を決められた。
 でも、今回は受け入れるか見捨てるかの決断。
 先輩が死ぬのは絶対に嫌なのだ!
 でも、受け入れる自信は正直無い。
 どうすればいい?
 俺の心を見透かすように「光の好きに決めていいよ」と言った。
「ただね決断は早ければ早いほどいい。今は僕が水とか栄養剤を無理矢理飲ませているからなんとか生きているけど、何時まで持つかは分からないから・・・」
 聞けば先輩は俺が家に通う前よりも酷い状態らしい。
 食事も取らずに、起きているのか寝ているのかも分からないような状態で三日も過ごしている。
 今直ぐにでも、先輩のもとに行きたい気持で一杯だった。
 だが、何の覚悟もなしに行っても同じ事の繰り返しになるだろう。
 先輩が俺に求めているものと俺が先輩に与えてあげたいものの温度差がありすぎる。
 どうすればいい?
 どうすれば・・・
 頭の中でグルグルと考えていると、むしょうに竜也兄さんに会いたくなった。
 竜也兄さんなら・・・
「俺、家に帰ります。決断はなるべく早くにしますから・・・」
 それだけ告げファミレスから急いで家に帰った。
 心が焦る!
 早くしなくては・・・
 早く・・・

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