INDEX

優しい匂い

貢サイド-4-

 光が家に通うようになってから二週間が経った。
 夜、光の腕の中で泣く事は無くなったが朝光が帰って行くと必ずあの幻覚を見た。
 幻覚は俺の脳が見せているのだろう。
 幻覚の光は俺にとって都合のいい事ばかり言った。
 俺が何よりも大切だと・・・。
 俺だけが大事だと・・・。
 言われれば言われるほど不安になった。
 幻覚から覚めると無性に光に会いたくなり、急いで学校へ行くが、多忙な光には中々会えない。
 たとえ会えたとしても、直ぐに誰かに連れて行かれてしまう。
 そんな時痛感する。
 光は俺のものではない事に・・・。
 考えてみれば俺と光は恋人でもなんでもない。
 それどころか友達ですらない。
 ただの知り合い。
 そう思うと胸が痛んだ。
 俺はただ眠りたかっただけなのだ。
 眠る為の抱き枕が欲しかっただけなのに・・・。
 何時から光自身が欲しくなったのだろう?
 光を俺だけのものにしたい。
 何処にも行かず俺の傍に居てほしい。
 そう、渇望すればするほど不安になった。
 望まないモノは何でも手に入ったが、本当に欲しいモノは絶対に手に入らない事を知っているから。
 どんなに頑張っても、どんな事をしても本当に欲しいモノは手に入らない。
 俺に出来る事は諦める事だけなのだ。
 諦める・・・光を?

◆◇◆

 その日の朝もやはり幻覚を見た。
 光を強く望む自分が見せている光はとても優しくて俺に都合の良い事ばかり囁いた。
 何時もの優しい笑顔で俺を好きだと言う。
 俺だけが大切だと言う。
 学校より、友達より、家族よりも俺が大切だと言う。
 望んでいる言葉を言われ幸せなはずなのに、その言葉を光が言う訳がないと分かっているから違和感を感じて不安になる。
 光が自宅に戻るために俺の部屋から出て行くと始まり、本物の光に会うまで続く不安な時。
 寝ているのか、起きているのかも分からない俺は、勿論夢と現実の区別がつく訳もなく、イカレた頭を元に戻すには光に会うしかなかった。
 本物の光の質感を感じ、体温を感じ、あの甘い匂いに包まれるまで俺の足は地に付かないのだ。
 だから俺は、鉛が巻きついたかのように重い身体を引き摺って、行きたくもない学校へ向かった。
 歩きなれた道を辿り、見慣れた建物が姿を現す。
 何時ものように顔も名前も覚えのない奴等に声を掛けられながら学校内に入るが、ここからが長い。
 多忙な光に朝から会う事は殆どない。
 たかが一男子高校生が、何故これほどまでに忙しいのかと怒りを覚えるほどに忙しいのだ。
 今日も昼休みまでは会えない事を覚悟して溜息を吐いた。
 下駄箱から上履きを取り出していると、人の気配を感じて目をそちらの方にやった。
「先輩おはようございます」
 会いたくて、会いたくて、仕方なかった顔がそこに有った。
「学校じゃ中々会えないのに、今日は朝から会えて良い感じですよね?」
 光は何時ものように優しく微笑んだ。
 幻覚の・・・俺の脳が見せている偽者の光もやはり優しく微笑むから、本物の光かどうか確かめる為に俺は手を伸ばした。
 俺よりも、逞しい筋肉質な腕に触れてみる。
 顔に触れて体温を感じてみる。
 今が現実で、自分が起きている事を確認する事が出来て俺はやっと安心した。
『志野原先輩が好きです』
『何よりも、誰よりも、志野原先輩が大切です』
 朝見た幻覚の言葉が頭を過ぎる。
 現実の、光の口からその言葉が聞けたらどんなに幸せだろう。
 ほんの僅かでも、俺を好きでいてくれたならと思う。
 嫌われていない事は、一緒に寝てくれている事から分かってはいるが、好きだとは言われていない。
 本心が知りたい。
 光・・・
 お前は俺を・・・
「どう思っている?」
 心で思っていた事が何時の間にか声に出ていた。
「何がです?」
 光は何を訊かれているのか分からないふうだった。
「いや、なんでもない」
 聞かなくても分かっている。
 二週間一緒に寝たが一度だってコイツからセクシャラスな視線を感じた事がない。
 俺をそういう対象には見ていない。
 ただの同情なのだ。コイツが俺と寝てくれているのは・・・
 優しい男だから、目の前に助けを求めいてる人間が居れば放っとけない。
 そういう人間なだけだ。
 確認する必要は無い。
「今日はお前の好きなエビフライにするから・・・」
「本当ですか?それじゃぁ店番兄さんに押し付けて早めに行きますから!」
 本当に嬉しそうな顔をして笑う。
 この顔を見られるだけでもう、十分なのだ。
「稔川! ちょっと来てくれ!」
 見知らぬ生徒が光を呼んでいる。
「今行く!」
 そう返事をすると俺に向き直り。
「すみません先輩、また今晩会いましょう」
 優しく微笑み小走りで去っていった。
 遠くに遠ざかる光の背中を見つめながら、心に広がる孤独感を感じていた。

◆◇◆

 朝感じた孤独感にずっと苛まれていた。
 そんな俺のもとに放課後女の二人連れがやって来た。
 一人はずっと俯いたままで、顔は見えないがぱっと見地味な印象だ。手には封筒が握られている。
 もう一人は俺を真っ直ぐ見据えている。気の強い印象を受けた。
 俯いている女の肩を抱いて前に押し出そうとしている。
「ほら、頑張って!」
 そう言われてやっぱり俯いたまま小さな声で
「あの・・・あの・・・」
 震えながらおずおずと封筒を差し出す。
 差し出された封筒は見るからにラブレターらしかった。
「いらない」
 キッパリ断った。
 俯いている女は身体を小刻みに震わせている。
 泣いているようだった。
「ちょっと酷いんじゃないんですか!」
 何故か付き添いの女が怒り出した。
「この娘がどんな気持でこれを書いたか知っているんですか!」
 知るかよ!
「受け取るくらい良いじゃないですか!」
「要らない物は邪魔だし、邪魔な物は要らないんだよ」
「酷い! 麻衣子可哀相!」
 なら、お前が後で慰めてやればいいだろう。
「顔が良い分性格が最悪だって噂は本当だったんですね!」
 段々イライラして来た。
 何で俺が、この女にここまで言われなくてはいけないんだ?
 お前は関係ないだろう?
「さっきから気になっていたんだけどあんたなんなの?」
「私はこの娘の親友です!」
 親友・・・ねぇ・・・。
 うんざりして、その場から立ち去ろうとした時だった。
「最近C組の稔川くんを追いかけまわしていますよね?」
 光の名前を出されて、翻していた身体を元に戻した。
「その所為で稔川くんが生徒会の仕事に支障をきたしているって知っていますか?」
 俯いていた女が小声で「止めてよ早紀!」と気の強い女の袖を引っ張る。
「稔川くん良い人だから何も言わないけどスッゴク迷惑しているんですよ・・・」
 ・・・・。
「人の気持を推し量れない人って最低ですよね」
 血の気が頭から足へと、一気に下がったのを感じた。
 この女は、俺を言い負かす為に光の名前を出したのだ。
 攻撃としては間違ってはいない。
 どんな罵りの言葉より、光の名前を出した方が今の俺には効果的だ。
 現に、結構応えた。
 だが、同時にヤバイスイッチが入った。
 女は俺が何も言い返さないので、すっかり勝ち誇った顔をしている。
 気持悪い顔だ。
 醜い。
 ・・・・・?
 何処かで見覚えのある顔だと思ったら・・・俺を連れ歩いている時の女の顔だ。
 俺の隣に居るだけで自分のグレードが上がったかのような妙な錯覚を起こして周りの女を見下している顔。
 この女は俺を見下し、優越感に浸っているのか?
 俺の心の中に黒いものが広がって行く。
 まるで水の中に落とされたインクのように、ゆっくりゆっくりと広がりながら落ちて行った。
「こんな最低な男諦めな麻衣子」
 そう言って、オロオロとうろたえている女の腕を掴み引き摺るように歩き出す。
 引き摺られながら俯いていた女は小さい声で「ごめんなさい」と謝った。
 俺は記憶をたどる。
 あの女の名前は何だったか・・・?
 確か、俯いていた女が呼んでいたな。
 ああ、そうだ『早紀』だ。

◆◇◆

 翌日、俺は早紀を非常階段に呼び出した。
「何ですか先輩。話しって・・・」
 怒っているのか、警戒しているのかぶっきらぼうに言った。
「あんたに怒られて、昨日の事反省したんだ」
「え?」
 俺の言葉が以外だったのだろう。
 ポカンと口を開け目を丸くした。
「俺の周りには俺を叱ってくれる人間が居ないんだ。だからだろうな・・・気付けない事が多いんだ」
 早紀の身体から力が抜けていくのが分かる。
 肩が徐々に落ちていく。
「俺の態度悪かったな」
「いえ、私も昨日は言い過ぎちゃって・・・ごめんなさい」
 素直に謝る俺に、釣られるように早紀も謝った。
「あの、だったら麻衣子の手紙受け取ってもらえるんですか?」
「いや、アレは受け取れない」
「なんで?」
 改心すると言った側から断る俺に、肩透しを食らったのだろう。詰め寄ってきた。
「俺は自分の事なのに何も言えないような女よりも、あんたみたいな物事ハッキリ言えるような女の方が好みなんだ」
 俺は出来るだけ優しく微笑んで見せた。
 早紀の顔には嫌悪感は見られない。
 それどころか口元が緩んでいる。
 俺の視線から逃げるように顔をそらした。
 落ちた。
 俺はそう確信していた。

◆◇◆

 早紀は次の日から俯いていた女を連れ立って俺の元にやって来た。
 名目上は友達の恋の手助けという事だろうが、明らかに自分が俺に会いたいだけのように思えた。
 先日の喧嘩腰の態度とは違って、好意的で積極的。
 明らかに、俺に好かれいてると思っている態度だった。
 上目使いで見たり、自分を可愛く見せようと作っているのが滑稽で笑えた。
 調理実習で作った物を二人揃って持って来たりもしたが、俺は早紀の方だけを選んで食べた。話も早紀とばかり話すようにした。
 最初の頃は早紀の友達とやらは、俺の側に居るだけで嬉しかったらしく、顔を赤らめ恥ずかしそうにしていたが、次第に赤かった顔は色を失い。表情は無くなって行った。
 俺に好かれていると勘違いし、浮かれている早紀は友達の変化に全然気付く事も出来なかった。

◆◇◆

「先輩。東雲《しののめ》さんを助けてください」
 何時も通り、抱き枕をしに来てくれた光は玄関口でいきなりそう言った。
 言葉の意味が分からず訊き返す。
「誰をどうしろって?」
「東雲さん。一学年の女子全員にシカトされています」
 必死に訴えている。
「だから東雲って言うのは誰なんだよ」
「東雲 早紀さん。先輩が最近仲良くしている一年生です」
 フルネームを聞き漸く東雲が誰なのかが分かった。
 一週間・・・結構早かったな。
「別に仲良くした覚えなんかないぜ」
「それが本当でも女子はそうは思っていません」
口調は穏やかだが目が笑っていない。
「俺にどうしろって言うんだよ・・・」
「先導しているのは先輩のFanの人達です。先輩が言ってくれれば東雲さんが孤立する事もなくなると思います」
 俺はだるそうに、大きな溜息を吐いた。
「なんで俺が・・・」
ぼそりこぼしたのを聞いて光は詰め寄る。
「このまま孤立した状態が続けば東雲さんは学校を辞めるかもしれません」
「だから?」
 あの女がどうしようと、どうなろうと興味なかった。
「俺には関係ない」
 言い捨てて踵を返して部屋の方へ向かって歩き出す。
 俺を追いかけるように光は部屋に入ってくる。
「関係ない? 本当にそう思っていますか?」
 まさか!
 わざと火種を作ってこうなる様に仕向けた。最初から分かっててやった事だ。
「あの女が悪い。自分の言葉に責任が持てなかったんだからな・・・」
「え?」
「俺を最低だと罵っておいて、俺に気の有る様な事を言われてすっかりその気になりやがって・・・」
 段々あの時の事が思い出されてムカムカして来た。
「親友の気持を知っていたのに俺に近付いた・・・。端から見たら、親友をだしに俺に近付く嫌な女に見えただろうな」
俺は薄く笑った。
「そうかもしれませんが・・・先輩がそういう素振りをすれば誰だって勘違いします」
 怒っているのだろうか?
 光は頭を振り、椅子にドカッと座った。
 テーブルに肘を突くかたちで右手で顔を覆うように支え、目を伏せた。
 溜息を吐き捨てる。
 悩んでいるような、困っているようなそんな仕草に吸い寄せられるように光に近付き、顔を耳の真横に持って行き囁く様に訊く。
「お前も勘違いするか?」
 顔を少し離し真正面から光を見つめた。
 伏せられていた目が俺に向けられる。
 何時もの穏やかな目とは違って、鋭く射抜くような目に見つめられ、心の中を読まれているような・・・変な錯覚を起こし、居心地が悪かった。
目をそらし、光から距離を取った。
「そういう冗談は嫌いです」
 光は俺から目線を下に下ろしそう言った。
「悪かったよ」
 言って、冷蔵庫から水を取り出し身体に流し込んだ。
 嫌な空気だ。
 なんで、あんな女の事で俺たちがギクシャクしなければならないんだ?
 クソッ!
 光の座っている椅子から離れた位置に有るソファにドカリと座り、光から逃げるように顔を反対向きに向けた。
 数十秒もしくは数分の間沈黙が部屋を包んだ。
 壁に掛けられた時計の秒針だけが響く。
 酷く居心地の悪い空気に喉が渇き、水を何度となく飲んだ。
 何故か、光の方を向くのが怖かった。
「先輩」
 不意に呼ばれて反射的に光を見てしまった。
 目と目が合い緊張が身体中を駆け巡った。
「俺は先輩の事、迷惑だなんて思っていません」
 一瞬息が止まった。
 光は知っているのだ。
 俺と早紀の遣り取りを・・・
 誰かに聞いたのだろうか?
 いや、そんな事より鋭いコイツの事だ、俺が何故怒っているのかと言う事も、早紀を孤立させる為にわざと動いた事も全て分かっているに違いない。
 気が付けば、光は俺の真正面に立っていた。
 しゃがみ込み、膝を突いて目線を俺と合わせる。
「東雲さんの言った事に一つの真実もありません。だから先輩が怒る必要なんて無いんです」
 真正面から見据えられ瞬きも出来なかった。
「東雲さんは先輩を傷付けましたが先輩も彼女を傷付けました」
 光の手が俺の膝の上に置かれた。
 触れている部分が熱い。
 神経が全てそこに集中している。
 身体が緊張する。
「もういいでしょ? 彼女を許してあげてください」
 穏やかで優しい声は諭すように言った。
 俺の意識はすっかり光に囚われていてあんな女の事なんかもうどうでもいいように思えた。
「わかった・・・フォローするよ」
 それを聞き漸く光は笑ってくれた。

   ◆◇◆

 光に言われたようにその日は早紀のフォローの為に一学年の女に声を掛けた。
 俺のFanとかいう女達は、俺に声を掛けられ妙にハイテンションで鬱陶しかった。
 ああ・・・面倒臭い。
 だるい。
 俺は今まで自分で追い詰めた相手をわざわざフォローするなんてまねした事が無いのだ。
 それなのに・・・俺は余程光に嫌われたくないらしい。
 何時もはしない事をしたり、しない緊張をしたり。
 こんな事は初めてで、自分で自分に戸惑う。
 あの日、屋上で光に出会ってから少しずつ少しずつ光の存在は俺の中で大きくなる。
 大きくなればなるほど不安になる。
 何時か訪れるその日を感じて・・・
Novel TOP 優しい匂いTOP Next
Copyright (c) 2008 Akito Hio All rights reserved.