灰冠中尉と雪白小尉
駆け引き-2-
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翌日。
課業終了後、灰冠は基地内にあるプールに来ていた。
普段であっても平日のプール利用者は少ないが、合同演習中の今はプールの利用者はゼロに等しかった。
週に一度、泳ぐ事が習慣付いている灰冠は誰もいないプールで、今日も一キロを泳いでいた。
プールから上がるため、プールサイドに両腕をつくと、目の前に二本の人の足が見えた。
灰冠が顔を上げると、黒髪にスポーツ刈という軍人らしい髪型に野性味たっぷりの面構えをした、ドーベルマンのような男が見下ろしていた。
もう、来たか―――と灰冠は心の中で苦笑した。
「そこを退いて下さい。プールから上がれません」
目の前の男が自分よりも階級が下である事は知っていたが、男の事など知らぬ風を装うため、灰冠はあえて敬語を使った。
灰冠に言われ、男は二歩後ろへ下がった。
ザバッっと水音をたて、灰冠はプールから上がると男の正面に立った。
身長180cmの灰冠よりはるかに背の高い男は、灰冠を見下ろすように見た。
「俺に何か用ですか?」
灰冠は何時もの柔らかい笑顔を浮かべて訊いた。
男は薄い唇を持ち上げ微笑する。
「泳ぐの速いですね。さすがは海軍様だ」
言葉とは裏腹に、男の声に感心など感じない灰冠は「恐れ入ります」と抑揚なく答えた。
「俺と勝負しませんか?」
速いと褒めておきながら勝負を申し出るとは、中々どうして自信家だな―――と灰冠は思った。
男の言葉に不遜さを感じながらも灰冠は、そんな事おくびにも出さず微笑む。
灰冠が即答をしなかったため、男は話を進めていく。
「俺が勝ったら今夜飲みに付き合う。どうです?」
「申し訳ありませんが、賭けはしない主義です」
灰冠はデタラメの主義を振りかざすと「では、失礼」と言って男に背を向けた。
「逃げるんですか?」
安い挑発だと苦笑し、振り向きざまに男に微笑んだ。
「ええ。俺は身の程を知っている男ですから」
再び背を向け歩き出すと、男は再び声を発した。
「貴方が相手をして下さらないなら、別の人に勝負を挑もうかな。・・・例えば雪白少尉とか」
雪白の名前を聞き灰冠は足を止めた。
ただの筋肉バカかと思ったが、一応俺の事を調べてきたか―――と感心しながらも男へ嫌悪感を抱く。
自分の思いを通すためには『脅す』事も厭わない。
相手を踏みつける事など、なんでもないのだろう。
たった数分言葉を交わしただけで男の性格の粗悪さを感じ取った灰冠は、誠心誠意努力をしたとしても決して好意などを持つ事は不可能だと結論を出していた。
だが、目の前の男を無視する事は出来ない灰冠は、興味すら持てない男に対して、笑顔で振り向いた。
「気が変わりました。勝負はしませんが酒には付き合いましょう」
「いいんですか?」
「貴方はどうしても俺に聞いて欲しい話がおありのようですから」
「聞いてくれますか?」
「俺でよければ」
男は獲物を前にした獰猛な目付きで灰冠を見た。
「是非とも聞いてください」
「今夜20:00【フタマルマルマル】時に正面ゲート前で待っていて下さい。タクシーで迎えに行きます」
「20:00時に正面ゲート前ですね」
男が復唱するのを聞き、「ああ・・・」と相槌とは別の小さな声をこぼした。
「そういえば、まだお名前を訊いていませんでした」
男は一瞬驚いた顔を見せた。
灰冠はニッコリと微笑むと、既に答えを知っている質問を投げかけた。
「貴方の姓名、所属、階級を教えて頂いても宜しいかな?」
「自分は陸軍東部方面隊第一師団所属、対馬茂【ツシマシゲル】軍曹であります。灰冠中尉殿」
対馬はニヤリと笑った。
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灰冠はロッカールームに通じる重い磨りガラスのドアを開け、シャワールームに向かい熱いシャワーを浴び、軍服に着替えて水練場を出ると、サイが目の前に立ちはだかった。
「盗み聞きしてたな」
灰冠が微笑すると、サイは「勿論です」と得意げに答えた。
「歩きながら話すぞ」
促されてサイは寸分の狂いもなく灰冠の歩調に合わせ歩き出す。
灰冠の向かう先、数メートル前にバス停がある。
基地内は広く、バスが定期的に巡回している。
灰冠はバス停まで歩き、三十分間隔でやってくるバスを待つ間に話をするつもりでいた。
「中尉。本気で対馬軍曹と飲みに行くおつもりですか?」
「行くよ」
「危険です」
「そうだな」
「分かってて・・・」
サイの言葉をかき消すように車のクラクションが鳴る。
見れば紺色のずんぐりと丸いボディのクーペが灰冠の真横で止まっていた。
ウィィィンと機械的な音と共に窓ガラスが下り、運転手がひょっこりと顔を出した。
軍人には似つかわしくないミディアムレングスのグラデーショ
ンボブを揺らし、女性ならとろけてしまいそうな甘いマスクがニッと笑った。
「穂野村中尉。これから出勤か?」
課業終了から一時間以上経っていたが、昼休みに顔を見せなかった事と、情報保安室のある方とは逆の正面ゲート方面から来た事とから、灰冠は訊いた。
「いや。今ラボから帰って来たところだ」
「ラボ?ZKがどうかしたのか?」
「ちょっと追加機能を付けにね。それより、灰冠中尉。ZKを保管庫に置きに行くなら乗っていかないか?」
「迷惑では?」
「俺もZKを置きに行くところだ。バスなんか待っているのなんかかったるいだろ?」
乗れよ―――と促され、助手席側のドアに回り込と、助手席に座っていたZKは席から立ち上がり、座席を一番前にずらすと灰冠とサイが乗り込めるようにした。
一人と一体が後部座席に納まるとZKは再び座席を元の位置に戻し、座った。
ZKがドアを閉めると同時に車は走り出した。
「話の続き宜しいですか?」
サイが伺いをたてると灰冠は「構わないよ」と答えた。
「ご自分の身が可愛ければ行かないで下さい」
「自分の身は可愛いけどな。売られた喧嘩は買ってやらないと男が廃るだろ?特にああいうタイプの男のものは高く買ってやらないとな」
フッ―――と薄く笑う。
「喧嘩とは穏やかな話じゃねーな」
そう言って穂野村が話しに首を突っ込むと「穂野村中尉からも止めてください」とサイは泣き付いた。
「灰冠中尉てば、対馬軍曹と飲みに行くって言うんですよ」
「ああ?灰冠中尉は新しい世界でも開拓する気にでもなったのか?」
「まさか。あんな男相手に新しい世界を見る気はないよ」
あんな男?データーだけでみると中々イイ男じゃないかと穂野村は冗談ぽく笑った。
「データーだけで見ればね」
「会った事がないから分からんが、そんなに嫌な男だったのか?」
「目がね・・・。 『俺と』楽しみたいではなく『俺で』楽しみたいんだって言っていた」
「うん?」
意味が分からないと言い、バックミラー越しに穂野村は後部座席を見た。
すると後部座席では、サイが興味津々と言った表情を作り灰冠を見た。
「あの男は自分が強い事を知っている。他の事で自分よりも秀でた人間を見つけては力で押さえつけて自分が優れた雄だと誇示したいのさ。分かるか?犬が上下関係を表すためにマウントポジションを取るだろう。対馬は俺にそれをしたいんだ。まったく腹が立つ」
言葉とは裏腹に灰冠は涼しい顔でいた。
「目を見ただけで分かるものですか?目はしゃべるのですか?人間が犬と同じ行動をとるものなんでしょうか?」
何でも知りたいサイは疑問を片っ端から投げかける。
「サイ。目は口ほどにものを言うと言う言葉があるが、実際は目はしゃべらない。目を見て何かを感じるとしたら、それは自らの経験によって分かったと思うだけさ」
「分かったと・・・思うだけ・・・ですか?」
「人間は当て推量ばかりなんだ。それと人間と犬の行動だけどな。どちらも本能から逃げられないって言うのが答えだ」
フフッ―――と灰冠は悪戯っぽく笑った。
「勉強になります」
サイはペコリと頭を下げた。
「それで、お前さんのケツに乗っかりたい本能に忠実な男と飲みに行って大丈夫か?」
殴り合いになったら勝てないだろうな―――などとのんびりという灰冠に、サイは「中尉考え直して下さい」と灰冠の腕を揺すった。
「そんなに心配してくれるな。殴り合いにならないよう上手くやるさ」
「でも・・・」
食い下がろうとサイが言葉を発した丁度その時、穂野村の車がZK保管庫のある建物の前に着いた。
話は強制終了。
まだ何か言いたそうなサイを認識番号の書かれた保管室に収納し、電源を落とした。
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灰冠がサイを保管室に収納して部屋を出ると、廊下に穂野村の姿があった。
「なんだ穂野村中尉。待っていてくれたのか?」
穂野村の側に足早で近付くと、壁に預けていた背を離し、穂野村は灰冠と正面から向かい合った。
「ああ。お前さんが俺に用があるんじゃないかと思ってね」
二ッと笑うと、灰冠は肩をすくめて見せた。
「中尉には敵わないな」
「まぁ。お前さんの用に耳を傾けるかどうかはまだ決めていないけどな」
「そうなのか?」
「そうだよ」
フゥ―――と灰冠が溜息を吐くと、穂野村はクスリと笑った。
誰もいない廊下を二人連れ立って歩いていく。
「訊いてもいいか?」
「なんなりと」
「お前さん。今まで散々喧嘩とか売られてきたんだろう?全部を全部相手にしていないはずだ。今回だって『飲みに行く』と言ってすっぽかしてもどうという事はない。なにせ相手は数日もすればいなくなる人間だ。なのに何故だ?」
不思議そうに灰冠の横顔を覗き込む。
灰冠は正面を見たまま答える。
「確かに対馬なんか適当にあしらえるんだけどな。雪白の名前を出されたんで・・・腹が立った」
「雪白?飲みに付き合わないと雪白に何かするって?」
「言っただけで、本気ではないかもしれないけどな」
分かんねーな―――と言って穂野村は頭をバリバリと掻いた。
「お前さんが雪白少尉を気に入っているのは知っているが、その雪白少尉自身お前さんを目の敵にしているじゃないか」
「まぁね。でも雪白のは『そこに山があるからチャレンジ』と言う純粋なアルピニスト精神によるものだから、小細工なし、正々堂々と向かってくる。それって男として嬉しいじゃないか」
「ああ。まぁな」
「だから、雪白が俺を超える事が出来たら、俺はあいつに跪いて靴にキスしてもいいと思っている」
灰冠のとんでもないセリフにギョッとして、穂野村は真横にある顔を凝視した。
その視線に気付いてか灰冠は見上げるように穂野村を見てニッコリと笑った。
「俺はてっきり・・・」
灰冠中尉が雪白少尉を手の内で転がして遊んでいるのかと思ったんだかな―――と、ぼやくように言う。
「おや。以外と穂野村中尉は人間を見る目がないな」
悪戯っぽく笑う。
再び灰冠は正面に向き直り、暫く無言のまま歩いた。
「ところで穂野村中尉。折り入ってお願いしたい事があるんだが・・・」
いいかな?―――と伺いをたてる顔には何時もの人の良さそうな柔らかい笑みではなく、どこか妖しさの漂う笑みだった。
「そうだな。お前さん、面白いから聞いてやってもいいぞ」
穂野村もまた、妖しい笑みを浮かべ答えた。
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