灰冠中尉と雪白小尉

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駆け引き-3-

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19:50。

約束の時間十分前に正面ゲートに着くと、そこには既に対馬の姿があった。

タクシーに乗せ、バーに向かう車内で「外では階級で呼ぶのはやめましょう」と灰冠が提案すると、対馬はその提案を自分に都合良い様に解釈し、フランクに話し出した。

年齢では確かに対馬は灰冠よりも八歳も年上だが、階級的には灰冠の方が上である。

しかも、灰冠とは今日知り合ったばかりだと言うのに、だ。

もしも対馬が民間人であれば、『まぁ仕方ない』と思えたかもしれない。

だが、対馬は軍人である。

軍隊のような縦社会において、礼を失する事がどれほどの事か分かっていての態度だ。

明らかに自分を軽んじる対馬に対し、灰冠はほんの僅かな怒りの色も見せる事無く、ただ冷たく笑っていた。

灰冠の馴染みのバーに着き、店の一番奥にある席に向かい合って座った。

薄暗い店内で正面から対馬を見る。

対馬は薄笑いを浮かべている。

人を嘲る様な笑み。

目は明らかに灰冠を見下している。

自分を跪かせたい。

踏みつけにしたいと思っている対馬から好意ではなく、悪意を受け取る。

だが、十年以上に渡り磨きをかけた偽りの微笑みは、決して形を壊す事は無かった。

灰冠と対馬はカクテルを注文するが、カクテルよりも先に二人の元にやって来たのは、愛玩用ネコ型ロボットであった。

ニャーと甘い泣き声をさせながら灰冠の足に擦り寄る。

「なんだコレ?」

「ネコ型ロボットを見た事がないのですか?」

「いや、あるが・・・。なんでこんなものがここにいるんだ?」

「マスターの私物らしいですよ」

ふうん―――と言いながら対馬はポケットからタバコを取り出し、吸い始めた。

灰冠が頭を撫でてやるとネコ型ロボットはフイッと別のテーブルへ行ってしまった。

少しして運ばれて来たカクテルを一口飲み、灰冠は口を開く。

「それで、俺に聞いて欲しい話とはなんでしょう?」

「その前に二つ訊いていいか?」

「いいですよ」

それとは分からない作り物の笑顔で答える。

「まず、一つ。今日、水練場であった時。本当は俺の事知っていたんじゃないのか?」

「何故そんな事を思ったんですか?」

「俺を見て『誰だ?』って顔を全然しなかったからさ」

以外と人をちゃんと観察しているな―――と心の中で舌打ちし、「顔に出ない性質なんです」とスルリとかわした。

対馬は半信半疑と言う顔して「へぇ」と言った。

「二つ、何で敬語のままなんだ?」

問われ、灰冠は笑みを深めた。

灰冠は相手と馴れ合うつもりなど無い時、拒絶の意思表示として敬語を使う。

そんな事を説明する必要もないので、もっともらしく「貴方が年上だからです」と、言った。

二つ目の質問の答えには納得したのか、対馬は「なるほどね」と微笑した。

カクテルを飲み、再び口を開いた対馬が話始めたのはたわいもない世間話だった。

広く深い知識人の灰冠はどんな話題でも付いていく事が出来る。

世界情勢でも戦術理論でも何でも、だ。

だが、対馬と会話をする気のない灰冠は相槌を打つだけで自分の意見や感想などは一切話さなかった。

一方的な対馬の話の間、灰冠も対馬もカクテルを何杯も開けていた。

全く酔った様子のない灰冠を見て、対馬は「酒強いんだな」と苦笑する。

灰冠はニッコリと微笑み「普通ですよ」とうそぶいた。

灰冠は遊びまわっていた十代の頃、三日三晩飲み歩いても潰れた事はなく。

士官学校時代から今現在まで同僚に飲み比べで負けた事がない。

『Y−スカ基地のバッカス』と呼ばれるほどの酒豪である。

【バッカス=酒の神様。酒に強い人をバッカスと呼んだりする】

そんな事は目の前の男は噂で知っている事だろうから、わざわざ口にしなかった。

「ところで、灰冠は会社を持っていると噂を聞いたが本当に持っているのか?」

突然の質問に灰冠は苦笑して答える。

「軍人の副業は禁止されています。会社なんか持っているわけないでしょう。会社を持っているのは母です」

「親が会社を持っているって事は、金持ちなんだな」

「会社を持っているからといって金持ちとは限りませんよ。負債を抱えているかもしれませんし・・・。第一、俺と母の会社は関係ないですからね。赤字でも黒字でも俺には金は一銭とも入ってきません」

「親が金を持っていたら子供にも回ってくるもんじゃないのか?」

「それはどこかの親バカな方がやる事でしょ?私の母は努力しない者、能力の無い者には金を渡したりはしないのです。遊ぶ金欲しさに会いに行けば、母は警備員達を使って会社や家から俺を追い出しますよ」

灰冠の言った言葉の半分は嘘である。

灰冠は二十歳の時に、中ノ国に会社を作っていた。

既に、士官学校に入った灰冠は会社の名義人などを母方の従兄弟の中で一番仲の良かった秀 斗一【ショウ トゥイル】にし、法的に会社の所有者を斗一にして自分は影の社長としていた。

法的には会社を持っていない事になってはいるが、実質的には会社を所有しているので、会社に関しては嘘。

母親に関しては全てが本当であった。

金持ちではないと聞いて、灰冠に対する対馬の興味がほんの僅か削がれたものの、一選抜で代々軍人家系のエリート、人目を惹く容姿を持った灰冠は対馬にとって跪かせたい対象からは外れなかった。

【一選抜=同期の中で一番最初に階級が上がる者。士官学校首席から十位前後の者がなる】

「そろそろ本題に入って頂けませんか?時間が勿体無い」

「本題?」

「世間話や俺の身辺調査の為に呼んだわけじゃないでしょう?もし、そうだと言うなら俺は帰らせて頂きます」

立ち上がる素振りを見せると「まぁ、待て」と対馬は制した。

「随分とせっかちなんだな」

「せっかちではありません。無駄な時間を使うのが嫌なだけです」

対馬は軽く笑うと、カクテルを一口飲んだ。

「灰冠。先日ジムでスカッシュをしていたろ。それを見て俺はお前に惚れた」

「スカッシュ・・・。俺のスカッシュの腕前はそれほどでもないと思いますが、ファンになってくれたのでしたら嬉しいですね」

二ッコリ微笑むと「はぐらかすなよ」と対馬は言った。

「はぐらかす・・・とは?」

「惚けるのか」

「はぐらかすとか惚けるとか、言っている意味が分かりませんね」

クスリと笑うと一瞬対馬の顔がイラつく。

「お前に一目惚れしたと言っているんだ」

「俺、男ですよ。ああ・・・もしかして対馬さんはゲイなんですか?」

灰冠は薄く笑うと対馬はフッと息を吐くように笑った。

「お前だってそうだろう?

「俺がですか?違いますよ」

「雪白の名前を出されて顔色変えただろーが」

「顔色を変えたからなんだというんですか?雪白は大切な人間です。そういう対象ではありませんよ」

「嘘だな」

「貴方がどう思おうが、それが事実だから仕方ない。折角好意を寄せて頂いて申し訳ありませんが、俺は貴方に応えられません」

対馬は大きく溜息を吐くと「そうか、それじゃ仕方ないな」と言い、ソファの背もたれに深く身体を沈ませた。

「潔く諦めるよ」

ポケットからタバコを取り出し、吸い付ける。

「失礼。ちょっとトイレに行ってきます」

灰冠は立ち上がり、店の隅にあるトイレにに向かった。

対馬は視界から灰冠の姿が消えるのを確認すると、着ているジャケットの内ポケットから何かを取り出した。

取り出したものは、親指ほどの小さなケースで、蓋をスライドさせると慣れた手付きで灰冠のグラスに白い粉を流し込む。

薄暗い店内で対馬の行動を見ている者はいなかった。

数分後、トイレから戻った灰冠は元の場所に座り直した。

すると、何処からともなくネコ型ロボットが現れ、ソファに乗り上げると、灰冠の太腿をカリカリと掻いた。

その仕草を見て灰冠は微笑み、ネコ型ロボットの頭を二、三度撫でた。

「対馬さん」

「うん?」

ネコ型ロボットから視線を対馬に移す。

「本当に小賢しい人ですね」

「あん?」

「グラスに入れた薬はどれくらいで回るものですか?」

「薬?なんの話だ?」

意味が分からないと言うように、眉根を寄せ、小首を傾げた。

すると、ネコ型ロボットはテーブルの上にしなやかな動作で乗り、作り物の金色の瞳で対馬を見た。

対馬はネコ型ロボットを睨め付けた。

「このネコ型ロボットは悪い悪戯をする人間を監視するためにここにいるんですよ」

ニッコリ微笑む灰冠とは対照に、対馬はばつの悪そうな顔をした。

「人が悪いな」

「悪いのは俺ではなく、貴方の方でしょう?」

観念したと言う様に息を吐きながら対馬はタバコをもみ消し、「三十分程度だ」と告げた。

それを聞き、灰冠は自分のカクテルを一気に飲み干した。

対馬は怪訝な顔をし、灰冠を見た。

「バカか?」

「子供の頃から神童と呼ばれていた俺にたいしてバカとは酷いですね」

「それじゃ、誘っているのか?」

「さっきから貴方の事はお断りしているでしょう」

分からない人ですね―――灰冠は冷笑する。

「貴方に遊ばれるつもりはありません」

微笑みはそのまま、冷たい声音でキッパリと告げると、対馬は喉の奥でククッと笑った。

「あんたにその気が無くとも俺に付き合うべきだと思うね。雪白少尉が大切ならな」

「雪白は大切ですが、対馬さんと付き合うのは嫌ですね」

「大人への第一歩は、やりたくない事をやる事から始まるもんだ」

「素晴らしいお言葉ですね。とても自分の思いを通す為に、脅したり薬を盛ったりする人のお言葉とは思えません」

「人間は多面性を持つ生き物だからな」

「貴方はただ都合が良いだけでしょう」

「大人なのさ」

「大人だと言うなら、他人の痛みを推し量るべきでは?」

「残念だが、俺は想像力が乏しい人間なんだ」

「そうですか。なら、想像し易いように微力ながらお手伝いしましょう」

「あん?」

芝田雛子【シバタ ヒナコ】―――灰冠の口から静かに告げられた名前を聞き、それまで悠然と構えていた対馬は顔色を変えた。

「誰だって?」

平静を装ってはいるものの対馬の声は緊張を表していた。

「芝田雛子。貴方の実の妹さんでしょう?」

「軍の個人データーには、一切雛子の事は記載されていないはずだぞ!」

決して聞く事はないと思っていた名前を出され、冷静さを失った対馬は肯定と取れる言葉を口にしていた。

しまった―――と、慌てて口を噤むと、灰冠はニッコリ微笑んだ。

「安心して下さい。かまをかけた訳ではありません。正確に知っているのです。S−多摩県、T−沢市在住、二十八歳。独身で出産経験なし、看護士として今の病院に勤めだしたのは三年前。それ以前は・・・」

「もういい。分かったよ」

イラただしげに声を荒げ、灰冠の言葉を遮った。

対馬はタバコを一本箱から取り出し、火をつけた。

煙を吸い込み、気持ちを落ち着かせようと努力する。

だが、その努力は実を結ばず、焦りは酷くなる一方だった。

対馬茂・・・当時、佐崎茂【ササキ シゲル】は十歳の時に両親を火事で亡くしていた。

身寄りの無い佐崎兄妹は孤児院に入り、後に別々の里親に引き取られ、兄妹は引き裂かれたが、強い絆で結ばれていた二人はお互いの存在を支えに日々を生きていった。

腕っ節が強く、素行が決して良いとは言えない自分に対する報復の対象にされないため、茂は孤児院を出てからは妹の存在は誰にも話す事をせず、その存在を隠した。

陸軍に入隊し、入隊時に書かされる書類などの肉親、知人などの親しい人間の名を書く欄に雛子の名前は一切記入する事もしなかった。

対馬家の戸籍に雛子の存在は無く、茂自身がその存在を報告しない限り、個人情報保護法により、容易に雛子の事を突き止められる事はないと高を括っていた。

現に今まで一度たりとも雛子の存在に気付いたものなどいなかった。

だが、その雛子の存在を灰冠は短時間の間に調べ出したのである。

灰冠志狼という人間を見誤った自分に対馬は奥歯を噛んだ。

「よくたどり着けたな」

「貴方が思うほど個人を探すのは難しくありません。細心の注意をはらい、存在を隠しても貴方と妹さんの関係が消えるわけでもないですし、生きている人間は必ず痕跡を残しますからね」

灰冠の言う通り、日ノ国に暮らしていれば必ずその痕跡が残る。

息を潜め、隠れていても必ず何処かで誰かに接触する。

接触した人間から情報が漏れ、存在が明らかになる。

個人情報保護法によって正攻法では入手困難であっても、逃げも隠れもせず、普通に生活をしていただけの芝田雛子を見つけ出すのはそれほど難しくはなかった。

「雛子さん。美しい方ですね。中ノ国では雛子さんのような美人はモテるんですよ」

灰冠は、意味あり気に微笑んだ。

『自分と雪白に何かすれば雛子を中ノ国に売り飛ばす』灰冠の言葉の真意をこう解釈した対馬は顔を真っ赤に染め、怒りを瞳に滲ませ灰冠を睨みつけた。

「俺を脅す気か?」

「脅すなんて子供みたいな事を言わないで下さい」

優しい笑顔、穏やかな声で言う。

「これは大人の駆け引きです。大人なんですからお分かりでしょう?」

人の良さそうな微笑みを作っているが目が笑っていないのを感じ、対馬は息を呑んだ。

本気だ―――と確信した対馬は深い溜息を漏らした。

タバコを灰皿に押し付け、もみ消す。

「俺の負けだ。親の七光りで粋がっているボンボンだと聞いていたが、噂なんてものは当てにならねぇな」

ソファから立ち上がり、席を後にしようと背を向けると灰冠は声をかけた。

「俺は物忘れの良い人間です。ですが、対馬さんの顔を見たら連鎖的に妹さんの事も思い出してしまうかも知れませんので・・・」

「分かってるよ。仕事以外で二度とあんたの前に顔は出さない」

そう言って、対馬はバの出入り口へ歩いていった。




■■■
対馬の姿が完全に店内から消えると、灰冠はテーブルの上に腕を乗せ、その腕に額を押し付けるように突っ伏した。

薬の効き目が表れるのは三十分後だと言われていたが、酒と一緒に飲んだために効果は早目に来たらしかった。

対馬の前では決して失態を演じまいと張っていた緊張が解け、灰冠は酔っ払いのようにグッタリとしていた。

「灰冠様、大丈夫ですか?」

頭上から優しく降る声に、灰冠は重い頭を持ち上げて見た。

見れば、バーのマスター白鷺【シラサギ】が、コップを持って立っていた。

「マスター悪いんだけど、雪白呼んでもらえるかな」

「雪白様ですか・・・。迎えに来てくださいますかね?」

灰冠と雪白の関係を知っている白鷺は、困ったような顔で訊いた。

「あいつのゲロの後始末は何度もしてやっているから、迎えにくらい来る・・・と良いなぁ」

最後が希望になっているのを聞き、白鷺は小さく笑った。

「来て頂けるよう、交渉してみます」

「うん」

「お水、ここに置いておきます」

白鷺は持っていたコップをテーブルに置くと、スタッフルームと書かれたプレートの付いたドアの向こうに消えた。
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