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優しい匂い

貢サイド-1-

 何時からだろうか、俺は眠れなくなった。
 最初のうちは酒や薬の力を借りて無理矢理寝ていたが、最近では身体がそれに慣れてしまい今では全然眠れない。
 最後に寝たのは確か五日前だっただろうか?
 寝たと言っても仮眠程度のもので、寝たと言うよりも疲れがピークに達して倒れたと言った方が正しいだろう。
 自分の身体が何処かおかしいのではないかと、以前病院にも行ったが「思春期には良くある事。運動すれば身体が疲れて眠れるようになるよ」などと適当な事を言われ、睡眠導入材を処方されただけで何の解決にもならなかった。
 医者に言われた通りに運動をしてみても、身体は疲れるものの頭は眠りを拒絶するかのようにハッキリとしたままだった。
 こんな事を考えている今も眠れずにイライラしている。
 考え事なんかしているから余計に眠れないようにも思えるが、何かを考えていないと夜の重圧感に押し潰されそうで辛い。
 早く朝が来ればいい・・・
 朝になればまだ気が紛れるから・・・
 俺はその日もやはり眠れずにそのまま朝を迎えた。

   ◆◇◆

 太陽の光が目に痛い。
 俺、志野原《しのはら》 貢《みつぐ》は六日間も寝ていない所為で血圧が高いのだろう。
 心臓も耳の奥もドクドクいっている。
 睡眠不足で身体の調子も気分も最悪だ。
 本当は学校に行くのはかったるいが、誰も居ない家に一人で居るよりもまだマシ。
たったそれだけの理由で重い身体を引き摺って行った。
 家から学校までは歩いて十五分程度の距離だが、体調不良のためか遥か遠くに感じる。
 永遠にたどり着けないような気にさえなってくる。
 それ程身体は重かった。
 幾つ目かの角を曲がり、大通りに出たところで学校へ向かう人間が急に増えて来た。
 すると、見知った顔の人間が声をかけてくる。
「オッス! 志野原、相変わらず顔色悪いな。ちゃんと寝ているのか?」
「おはよう志野っち! うわっクマ酷いねぇ大丈夫?」
 俺の顔を見るや否や口々にそう言った。
 言われなくても自分の顔色の悪さは分かっている。
 俺は「ああ・・・」とか「まぁね・・・」とか曖昧な返事を返し、うんざりしながら学校へ向かった。
 学校に着くと、さっきよりも多くの人間に声をかけられた。
 中には名前も知らなければ見覚えもない奴に挨拶されたが、適当に返事をしておいた。
 中央階段から三階へ上り、二年B組と書かれたプレートがかかっている教室に入ると挨拶もそこそこに自分の席へ着き、机に突っ伏した。
 クラスメイトの女子どもが何やら話しかけてきたが、登校と挨拶で気力も体力も限界に近かった俺はとにかく無視した。
 始業を知らせる鐘が鳴り、数学の教師が入って来ると日直が号令をかける。
俺は重い身体を起こし、形ばかりの令をしてまた机に突っ伏した。
 授業中に聞く教師の話は眠気を誘うのが相場だ。
 今日こそは俺を眠りに誘ってくれよと、微かな期待を込めて祈った。
 ・・・。
 ・・・・・・。
 ・・・・・・・・・。
 確かに今日も授業は詰まらないものだった。
 教室を見回せば一時間目だと言うにも拘らず、うとうとしている奴が何人もいた。
 だが、俺の睡眠欲は一向に刺激される事はなかった。
 一時間目が終わり、二時間目、三時間目と俺は眠る事も出来ず、タダタダ無為な時間を過ごした。
 四時間目が終わった直後、二人組みの女が近付いて来た。
「志野原君お昼一緒に食べない?」
『食べない!』心の中で即座に答えた。
 何で俺が見ず知らずの人間と昼食を取らねばならないんだか。
 目の前に立つ女の胸元を見ると赤いリボンをしていた。
 俺の通う学校では学年を色で分けている。
 青が一年、二年は赤、三年は橙色。
 その事から目の前の女達が同じ学年だと分かったが、顔に見覚えが無い。多分他のクラスの人間だろう。
 やはり一緒に昼飯を食う義理なんか無い。
「私たち志野原君の分のお弁当作ってきたんだ」
 二人は手に二つずつの弁当を持っていた。
 どうやらこのコンビは俺に二つの弁当を食わせる気でいるようだ。
 俺はそんなに大食漢に見えるのだろうか?
 体調が万全なら食べられない事もないが、今は睡眠不足のため食欲不振だ。
例え体調が万全だったとしても、見ず知らずの人間が作った物など、気持ち悪くて食う気にはなれないだろう。
「食べたくない」
 正直な気持ちを飾らずそのまま伝えた。
 すると二人は同時に「えぇそんなぁ〜」と不満を漏らした。
 二人は「少しでいいから食べてくれ」と「受け取るだけでもいいから」と食い下がったが、食べたくないものは要らないし、要らないものは邪魔なだけだから受け取りたくも無いと伝えると「酷い」と言われた。
「折角志野原くんの為に作ってきたんだから、一口くらい食べてくれてもいいじゃない!」
 折角だか触角だか知らないが、俺は頼んでいない。
 勝手にやった事なのだから、結果が付いて来なくても仕方が無いだろう。
 好意は受け取られて当然か?
 受け取るのが礼儀なのか?
 そう信じるのは勝手だが、俺にそれを押し付けんな。
 全く持って迷惑だ。
「知らない人間が作ったものなんか怖くて食えない」
 それだけ言い捨てて、二人を残して俺は教室を後にした。
 また誰かに捕まると面倒なので、誰も来ない屋上に避難する事にした。
 二年の教室がある三階から四階へ行き、五階にあたる階にある屋上へ出る扉の前までやって来た。
 屋上に出る扉は校内に一つだけで、その扉は何時も鍵が掛かっている。
 鍵は職員室で管理されていて、何か用でもない限り貸し出しはして貰えない。
 絶対に人の来ない良い場所なのだ。
 俺は中学の頃まで素行の悪い連中と付き合いがあり、ピッキングの遣り方はマスターしているから、複雑な作りの鍵でなければ十秒も掛からずに開ける事が出来る。
 懐から七つ道具を取り出し、鍵を開けようとドアノブに手をかける。
 だが、妙な違和感を感じ、ドアノブを回すと鍵は既に開いていた。
 屋上の鍵が開いている事など今まで無かったので、訝しみながらドアを押した。
 ドアを開けると屋上の真ん中付近に黒い物体が横たわっていた。
 一瞬その物体の正体が分からず踏み止まったが、良く見ればソレは人間だった。
 黒い物体の正体が分かり無遠慮に近付いて見ると、黒い物体はただのガクランを着た男だった。
 横になっているから正確な事は分からないが、多分俺よりも大きい。
 身長もそうだが、身体のパーツがガッシリしている。
 扉の方に背を向けて横になっているから顔は見えないが、上履きの色が青いので一年だろう。
 規則正しく身体が上下する事から、ただ寝ているだけらしかった。
 見れば左手には屋上と書かれた木の札の付いた鍵を握っている。
 どうやって職員室から鍵を持ち出したかは分からないが、屋上の鍵を開けた張本人はこいつらしかった。
 ただ昼寝の為だけに鍵を持ち出したのだとしたら本当にご苦労様である。
 ある意味素晴らしい。
 そのアホさ加減は好意に値するな。
 そんな事を思いながら一年坊主の背中の間近に腰を降ろした。
 こんなに近くに寄っても全然起きる気配がない。
 熟睡中である。
 不眠症の俺からすればここまで集中して眠れるなんて事は羨ましい限りだった。
 どんな間抜け面して寝ているのか見てやろうと、そして笑ってやろうと覗き込んだ。
 少年の顔に俺の頭の影が落ちる。
 やはり起きる気配は無い。
 ドキッとした。
 屈託なくすやすや眠る顔が綺麗だった。
 綺麗と言っても美人という事でなく、あくまで顔は男らしいのだ。
 それなのに何故か綺麗だと感じてしまった。
 その時、不意に風が吹いた。
 甘い匂いが鼻をかすめた。
 甘いと言ってもお菓子の様な甘さではなく、なんと形容していいのか分からない・・・
 初めて嗅いだ匂いだった。
 もう一度今の匂いを感じたいと思い、辺りを見渡すが、屋上で匂いを発生しそうなモノは俺の隣で健やかに眠っている一年坊主だけだ。
 息を潜めて一年坊主の項に顔近付け、匂いを嗅いでみる。
 やはり匂いの元はこいつだった。
 匂いのあまりの甘さに、俺は全ての匂いを吸い尽くさんばかりの勢いで匂いをかいだ。
 きっと今、この場を誰かに見られたりしたら変態だと思われるかもしれない。
 いや、絶対思われる。
 変態決定だ。
 それに、これだけ密着しているのだから目の前のこいつが何時起きてもおかしくない。
 もし、起きてしまった場合どう言い繕っても俺は変質者だな・・・。
 そんな事を思いながら、匂いを嗅ぎ続けた。
 そうしているうちに段々眠れそうな気がしてきた。
 一年坊主の背中にぴったりくっつくように横になり、顔を近寄せた。
 背中は男の俺から見ても大きく広かった。
 息を吸う度に甘い匂いがしてたまらなかった。
 何故か安心した。
 次第に俺の意識は薄くなっていった。

   ◆◇◆

 重い瞼をこじ開けるとコンクリートが見えた。
 一瞬自分が何処に居るのか分からず混乱し、ダルイ身体を起こし辺りを見渡してみる。
 自分が学校の屋上に居る事が分かり、今度は何故屋上にいるかを思い出そうと記憶を探った。
 グランドの方から野球部の声が聞こえて来る。つまり今は放課後か?
 放課後?
 靄のかかった頭が急速にクリアーになり、重大な事に気付く。
 二時間飛んでいる。
 授業をサボるのは日常茶飯事なのでソレは大した事ではない。
 重要なのは二時間も熟睡出来たという事だ。
 最近では殆ど眠る事が出来ず、寝ても十五分程度の仮眠状態だった俺が・・・
 世界中の殆どの人間はその程度の事と思うかもしれないが、俺にとっては二時間眠れた事は重大な事件だった。
 眠れた事に少し感動していた。
 睡眠の手助けしてくれた一年坊主に感謝したい気持ちで一杯だった。
 だが、一年坊主は俺が寝ている間に消えてしまっていた。
 起きた時はさぞかしビビッタに違いない。
 知らない人間、しかも男にぴったりと寄り添われていたのだから、気持ち悪いを通り越して恐怖を感じただろう。
 一体どんなリアクションを取ったのだろうと想像したら笑えた。
 急いで帰ってクラスの人間に今日起きた恐ろしい出来事を話したに違いない。
 どんな風に話したのだろうと想像しているうちに俺の口から小さい笑い声が漏れていた。
 硬い場所で眠った所為で身体のあちらこちらが痛んだが、俺の気分はすっかり良くなっていた。
 これもやはり一年坊主のおかげだろうと礼の一つも言いたい気分だったが、名前はおろか顔すらおぼろげでもう一度会っても多分分からないだろう。
 残念だがアイツの事は諦めよう。そう気持ちに踏ん切りを付け、立ち上がると一年坊主が置いていった屋上の鍵を拾い上げ、施錠し、鞄を取りに教室に向かった。
 二年B組と書かれたプレートがかかった教室の扉を開けた。
 教室には数人の暇人たちが残っていた。
「志野原何処行っていたの?加藤(先生)怒ってたぞ!」
「ちょっとね」
 俺は言葉を濁した。
 一々説明するのは面倒臭いし、する必要もないからだ。
 鞄を取る為ロッカーの鍵を開けていると暇人の一人が俺に近付いて来た。
「帰るのか?さっき伊東《いとう》が探していたぞ。約束しているんじゃないのか?」
「伊東が言ったのか?約束しているって・・・」
「ああ・・・」
 おかしい。
 俺が伊東と約束をするなんてありえない。
 伊東は偶然同じ学校の偶々同じ学年の何故か同じクラスになってしまった人間だ。
 下の名前すら思い出せない人間と俺が約束するわけがない。
 嫌な予感がした。
 絶対に会いたくない。
 今日は気分が良いんだ。
「じぁあな!」と言うクラスの人間に軽く手を振り一階へ向かった。
 下駄箱のある中央玄関で待ち伏せされている可能性があったので、東昇降口にある窓から上履きのまま出た。
 少し行くと二メートルぐらいのフェンスがありそれを乗り越えればもう学校の外である。
 フェンスを越え大通りに向かって歩いていると携帯が鳴り出した。
「はい?」
 俺は不機嫌そうに電話に出た。
『志野原?俺伊東だけど今何処に居んの?』
 手前の知った事かよ。
「別に何処だって良いだろ・・・」
『今日さぁ、聖女の子達と合コン予定していて・・・』
 俺の不機嫌なオーラは電話の向こう側には届いていないらしく訊いてもいない事をダラダラと喋り始めた。
 長くなりそうだし、面倒で鬱陶しいから無言で電話を切った。
 掛け直される事を予想してそのまま電源をOFFにして鞄の中に放り込んだ。
 上履きのまま何処かへ寄る気にもなれなく家に真っ直ぐ帰る事にした。
 大通りから幾つ目かの角を曲がると白い五階建てのマンションが現れた。
 大通りから少し外れたこの辺は静かで煩わしい近所付き合いがなく俺に合っていた。
 今日は二時間も眠れたからか家に帰って横になれば直ぐに眠れそうな気がした。
 一階に設置されている郵便ポストには目もくれず、エレベーターに乗り込み十五と書かれたボタンを押した。
 少しして最上階の十五階に着いた。何処かから電話のベルが聞こえて来る。
 ソレは自分の部屋に近付く程近くなった。
 電話の相手が誰か凡その予想が付いていたので放っておいた。
 何回か呼び出し音がして切れた。
 漸く静けさを取り戻した部屋にまた、電話のベルが鳴り響いた。
 切れた!
 電話ではなく俺が!
 俺は元来キレやすい性質の男なのだ。
 それは周知の知るところで、それが不眠症と食欲不振でちょっと大人しくしているだけなのだ。
 そんな俺にここまでしつこくするからには余程の用事があるのだろう。
 なければキレる。
 既に切れているが、よりいっそうキレる。
 多分そうなれば明日は身体がだるかろうが重かろうが伊東の奴を二度と俺に関わりたくないと思うくらいボコボコにしてやる!
「あぁ?」
『あっ! 志野原? 俺、伊東だけど』
 知っている。
 下の名前はどうやっても思い出せないが、お前が伊東だという事は分かっている。
『っていうかぁ、お前が来るって言ちゃったんだよね俺』
 はぁ?
 何を言っているのだこいつは?
 最初に「っていうかぁ」と言う言葉をもって来るのも意味が解らないが、その後に続く言葉の意味が更に解らない。
 俺が何だと?
「何の話だ? 話が全然見えねぇよ」
『だから、聖女と今日合コンするんだけどお前が来るって言っちゃったんだよ』
 絶句した。
 用事のくだらなさとこの男の身勝手さに。
 俺が黙っていると伊東は更に続けた。
『いやぁお前の名前を出すと女の喰い付きが全然ちがうよ、顔のいい奴は得だよな。お前と友達でホント良かったよ!』
 昔から俺を利用しようとする奴は結構居た。
 都合のいい時だけ友達面する輩は、無視するに限る。
 電話を切ろうと耳から受話器を離そうとした時・・・
『これから出て来られるだろ?お前が来てくれないと困るんだよ』
 勝手に困ってろ。
『俺の面子もあるし、俺の顔を立てると思ってさ』
 自分の事ばかりだ。
 いい加減うんざりした。
「お前の事なんか知るかよ」
『そんな事言わないでさぁ。一番可愛い子お前に譲るし・・・』
「俺を本気で怒らせて学校辞めた奴いるの知っているだろ? 自分がそうなりたくなかったら俺が穏やかに話しているうちに引けよ」
電話の向こうで緊張しているのが伝わってくる。
『悪い』
 それだけ言うとすぐさま電話が切れた。
 受話器を置きその場に座り込んだ。
 最悪の気分だ。
 少し前まであんなに気分が良かったのに。
 あのアホの所為ですべて台無しだ。
 また、元に戻ってしまった。
 もう、眠れる気がしない。
 屋上で会った一年の事を思い出した。
 アイツが居ればまた眠れるかもしれない。
 アイツを見つけ出す手がかりとして必死に屋上での事を思い出した。
 同じ学校の一年、俺よりも大きい体格、顔はどうだっただろう?
 綺麗だと感じた事は覚えている。
 美人と言う事ではなくあくまで男らしい顔立ちだった。
 そう感じた事は覚えているがどんな顔だったか全然思い出せなかった。
 溜息を吐き倒れこむかたちで床に転がった。
 暫くそのままぼんやりしていたが、ある考えにいたり重い身体を起こし、電話の受話器を取った。

   ◆◇◆

 最寄の駅前には税金の無駄遣いとしか言いようの無い、何だか良く解らないモニュメントがある。
 そのモニュメントの前にかれこれ俺は十分以上立っていた。
 約束の時間は八時だったはずだが未だに待ち合わせの相手は現れない。
 待つのにも飽きてきたので帰ろうと踵を返した時、駅の方から俺を呼ぶ声がした。
 振り返ると改札口の向こうにターコイズブルー色のハイネックセーターを着た女が俺に向かって手を振りながら俺の名前を呼んでいる。
 改札を抜け小走りで近寄ってくる。
「志野久し振り! こんな所で何してんの?」
 顔を間近で見たが誰だか分からなかった。
 小さい顔にパッチリとした目に少し低い鼻と小さい口、多分世間一般では可愛いと称される顔だ。
 だが記憶に無い。
 俺の名前を呼んでいる事から相手は俺を知っているのだろうし、俺も知っているはずなのだろう。
 だが、やはり思い出せない。
 まぁいいか。
「そっちこそ何してんだ?」
「私はこれから合コンだよ。志野もそうでしょ?」
 話が、かみ合っていない気がした。
「今日の碧高と聖女の合コンに行くんでしょ? だって志野の名前あったし・・・」
 ああ。
 伊東が言っていた合コンか。
「俺は行かないよ」
「え―っ! うそぉ志野来ないの? だったら私も行くのやめようかな」
「じゃぁ暇なんだ?」
「うん! 今暇になった」
 俺は名前も思い出せない女を連れ立って改札口をくぐった。
 電車を二度ほど乗り換えてたどり着いたのは、けばけばしいネオンに彩られた歓楽街だった。
 女は俺の腕を引っ張りながらどのホテルに入ろうか楽しそうに選んでいる。
「ただ寝るだけなんだ、何処でもいいだろ」
「何処でもいい事ないよ〜」
 顔をプーっと膨らませて拗ねたような顔を作った。
 その時俺の携帯がズボンのポケットの中で鳴った。
 だるそうに携帯に出ると相手は待ち合わせの相手だった。
『今、何処に居るの?』
「お前が来るのがあんまり遅いから別の奴見繕った」
『えぇ! 酷い!』
「遅れて来る方も悪いだろ?」
 このままダラダラと話すのは疲れるので電話を切りそのまま電源をOFFにした。
 会話を聞いていた女は嬉しそうに俺の腕にしがみついて来た。
「そういうところ全然変わってないね」
「どういうところ?」
「ロクデナシ」
「そりゃどーも」
 俺は薄く笑った。
 女はどのホテルに入るか決めたらしく俺の腕を引っ張って入り口に入っていった。
 ロビーでもやはりどの部屋へ入るか楽しそうに選んでいる。
 ただ眠るだけなのに・・・
「ねぇ志野は何処がいい?」
「俺は何だっていいよ」
「むっ! じゃあココだ!」
 元気よくボタンを押す。
 俺は鍵を受け取るためにフロントに向かうと女はカルガモの仔のように俺の後ろをテコテコついて来た。
 そして嬉しそうに腕にしがみついてきた。
「行こう」
 俺は言われるまま部屋へ向かった。
 女は部屋に入ると勢いよくベッドに飛び込んだ。
「本当はホテルなんかじゃなくて志野の家に行きたかったな」
 ベッドの掛け布団を抱きしめながらそう言った。
「俺、今弟と一緒に住んでいるから駄目だよ」
「志野って弟いたっけ?」
「いるよ」
 嘘を吐いた。
 弟はいるが一緒になんて暮らしていない。
 俺は自分のテリトリー(部屋)に他人を入れたくなかった。
 自分からは今まで入れなかったし、これからも入れないだろう。
 以前付き合っていた女が勝手に住所を調べて管理人を騙し、家に上がりこんでだ時は気持ち悪かった。
 一気に冷めた。
 住居侵入罪だという意識は無かったのだろう。
 恋して熱に浮かされている時の人間なんてそんなものだ。
 自分が好意でしている事は相手にとっても良い事だと信じて疑わない。
 それとも自分だけは許される存在だとでも思っていたのだろうか?
 他に何人もいた彼女達の中で自分だけは特別だと・・・
 腹立だしさと気持ちの悪さで三日しないうちに俺はその部屋を出て行きもっとセキュリ ティの硬い部屋へ移り住んだ。
 管理人には誰に何を言われても部屋に入れないように何度も釘を刺しておいた。
 その甲斐あってか今の部屋には弟しか入った事はない。
 本当は弟も入れたくは無いのだが、あいつは合鍵を勝手に作って持っていやがるので、入るなと言っても入る。
 入るなと言えば言うほど入る根性悪なので無視する事にしていた。
「ねぇ、本当にしないの?」
 俺のシャツを引っ張りながら、上目遣いで女は訊いた。
「寝るだけだって言っただろ」
「それはそうなんだけど・・・私、志野のH好きなんだよね」
 何を言っているのだこの女は?
 俺はただ眠りたいだけなのだ。
 そのための抱き枕が欲しかっただけで・・・。
 それを了承してここまで来たはずなのに。
「私と一緒に居てしたくならないの?」
「ならない。だから大人しく寝てくれ」
 俺の言葉を無視して女は股間を弄り始めた。
 女のその行動が俺の癇に触った。
 荒々しく女の手を払いのけ、俺は足早にホテルを後にした。

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