優しい匂い
光サイド-4-
朝一番の生徒会の仕事を終え、生徒会室に立ち寄った。
窓を覗くと登校している生徒の姿が見えた。
8時30分。一番人が多く登校してくる時間帯だった。
あの人はまだ来ないだろう。
何時もバラバラな時間に登校してくるが、大体遅刻ギリギリの時間にしか来ないからな…
そう思いながら暫く窓の外を見ているとあの人が姿を現した。
早く登校して来たという事は多分寝ていないのだろう。
今日は一段と顔色が悪い…
今週は当番が当たっている所為で、志野原さんに朝の挨拶は掛けられていない。
その事と彼の顔色とは何の関係も無いだろう…
俺が声を掛けようと掛けまいと彼の生活には何ら変わりは無いのだから。
「彼が気になりますか?」
突然背後から声が聞こえ、反射的に振り返る。
振り返るとそこには葵澄【きすみ】生徒会長の姿があった。
志野原さんとは全く違ったタイプの美形。
志野原さんが洋風なら、葵澄生徒会長は和風の美人だった。
「彼には関わらない方がいいですよ」
唐突にそんな事を言われ驚いた。
「会長は何故そんな事をおっしゃるんですか?」
「君は優しい男ですからね。つけ込まれます」
『優しい男』…会長にそう言われ、少し笑いたい気分になった。
優しい男、良い人、そういった言葉はわりと言われ慣れたセリフだったし、言われて当然だと思っていた。
そう人から思われるように振舞っていたから…
「彼の様な人間に君は勿体無いです」
会長が志野原さんの事を話す時、明らかに嫌悪感があった。
会長は本人の目の前以外では決して悪口は言わない人だし、誰に対しても(快く思っていない人間に対しても)同じ態度でいるから分からなかったが…
生徒会書記の高坂【こうさか】先輩が言っていた事は当たっていたのかもしれない…
首席で入学したにもかかわらず入学式当日規定の時間までに現れなかった為、新入生代表の挨拶やら何やらは次席であった葵澄生徒会長がいきなり押し付けられる事になり、迷惑をかけられた事。
式が終わった直前女性ドライバーの真っ赤なフェラーリに送られて来た志野原さんの事不真面目さを嫌っているのだと…
葵澄生徒会長に直接訊いたわけではないし、これはあくまで高坂さんの勝手な推測なのだが、真面目で、潔癖な生徒会長の性格を考えれば当たっているのかもしれない…。
「心配して下さって有難う御座います」
俺は生徒会長の事が好きなので、これ以上彼の口から志野原さんの事を悪く言う言葉を聞きたくなかったので、めいいっぱい優しく微笑んでそう言った。
俺の意図を察してか葵澄生徒会長はそれ以上何も言わなかった。
生徒会室を出たと同時に1時間目を知らせるチャイムが鳴り、俺は慌てて教室に向かった。
教室に入ると、まだ先生は来ていなかったので、呼吸を整えながら席に着いた。
教科書を出していると、あるはずのものが無い事に気が付いた。
…時計がない!
朝出かけるときには左の手首巻いてあったのに…
何処で外しただろうか?
ぼんやりとした記憶を辿っていくと、今朝生徒会の仕事で学校旗を上げた時に外したのを思い出した。
屋上の鍵は閉まっているから誰かに持ち去られる事は無いだろうが、あの時計は竜也兄さんから貰ったものだから早く取りに行きたい。
次の休み時間に取りに行こう…
俺はそわそわしながら1時間目を受けた。
3度あった休み時間は全てクラスの雑用に追われ屋上へは行けず、結局時計を取りに行けたのは4時間目が終わった後の昼休みだった。
職員室で鍵を借り屋上に上がってみると、素晴らしく気持の良い空が広がっていた。
無風で力無い旗がまとわり付いているポールの根元に、俺の忘れ物は置かれていた。
俺は時計を手首に巻き付けると、屋上の真ん中辺りに腰を降ろした。
学校では生徒会の仕事、家では店の手伝い、それに加えここ数週間は志野原さんの事で気を揉んでいたため少し疲れていた。
ほんの少しだけ横になるつもりでその場に寝そべった。
遠くから人の声が聞こえ、それが妙に心地よかった。
俺は何時の間にか意識を手放していた。
チャイムの音を聞いた気がして俺は慌てて起きた。
時計を見ると昼休み終了の時刻を示していた。
5時間目が開始まで10分ある事がわかり、ホッと胸を撫で下ろした。
その時!!
手に何かが触れて、身体中に緊張が走った。
振り向くとそこには…息を飲むほど美しい人が横たわっていた。
色素の薄い髪は太陽の光りを浴び、一層薄く見える。
眼も鼻も口も全てのパーツが作り物のように整っていて、息をしていなかったら美術品だったかもしれない。
でも、なんで…
人を無視し続けているこの人が俺の隣で寝ているのだろう?
まるで寄り添うかのように…
…寝ている…?
不眠症で日に日にやつれていた人が俺の隣で熟睡している!
俺は心臓を下から蹴り上げられたような気がした!!
何故だか分からないが…
この人は…
俺を見つけてくれたのだ!
感動して手が震えている。
胸の鼓動が早まるのを感じた。
彼の綺麗な寝顔に触れて見たい衝動に駆られる。
手を伸ばそうとした時…
不意に彼の睫が振るえ、涙が流れた。
寝ながら泣くほど辛いのだろうか?
早くこの人を楽にしてあげたい。
眠りながら涙を流す事がなくなるように――
安心して眠れるように――
優しくしてあげたい。
『愛していないなら…お前が辛くなるだけだ。
竜也兄さんの言葉が頭を過ぎったが
もう、迷いはなかった。
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